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県から知事ら=感涙の対面も=6百人が式典に列席=故郷しのぶ展覧会が好評=秋田県人会45周年祝う

2005年10月25日(火)

 ブラジル秋田県人会(石川準二会長)創立四十五周年記念式典が二十二日、創ブラジル日本文化協会大講堂で行なわれた。寺田典城(すけしろ)知事や辻久男県議会議長、あきた南米交流会の会員ら十六人も列席、総勢六百人が集った。「久しぶりに県人会の集まりに顔を出した」という人や、偶然の出会い、再会に感激する姿も見られた。
 式典は両国歌斉唱で始まり、先没者に黙祷が捧げられた。
 石川会長はあいさつで、「いつの移住者も悩みや苦労があったが、それを癒してくれたのは故郷の同胞、親兄弟、友人の暖かい励ましだった。県人会活動を通じて、県との交流を活発にし、ブラジルでも認められている日本人の本質を後継者に伝えていきたい。先駆者に負けないよう私たちも頑張りましょう」と、決意を力強く語った。
 これを受け、寺田知事は「移住以来、言葉はもちろん気候風土や文化の異なるブラジルで生活し各分野で活躍していることは県民の誇り。これからもさまざまな活動について支援していきたい」と祝辞を述べた。
 次いで県人会の功労者や高齢者に賞状が授与され、また、知事やあきた南米交流会長らには感謝状が贈られた。
 最後は秋田県民の歌が合唱され、万歳三唱で式典は締めくくられた。
 今まであまり県人会の集まりには参加しなかったという佐藤良盛さん(75)は、「来てみたら盛大で感激しました」と笑顔を見せた。
 会場外には県人会が準備した秋田出身の先覚者八人の紹介パネルや、交流会が県人会に寄贈した掛け軸二十五点が展示されたほか、民芸品も飾られ、来場者はゆっくりと見て回りながら故郷の思い出話に花を咲かせた。
 二十五点の掛け軸は、「移民にふるさとの姿を伝えたい」との願いから、交流会の石黒久司さんが発案し、県内で募集されたふるさとにまつわる俳句や和歌と、それにあった墨絵や切り絵、日本画が配置されたもの。「ハタハタの来る夜裏木戸開けておく」、「米どころ 身内揃えばどじょう食う」など、温かみのある作品が目立った。
 交流会の成田實副会長は「秋田ならではの言葉と絵でこちらの方に楽しんでもらいたい」と話していた。
 一方、偶然の出会いや久しぶりの再会に喜ぶ姿も見られた。
 交流会の高田忠一さんと、県人会の大槻洋志郎副会長は空港で名刺交換。同じ中学出身で共通の知り合いも多いと分かった。
 「八幡平か?(中学校の名前)と言われて、あまりにびっくりして言葉が出てこない、という体験をした。あんなことは初めてだった」。大槻副会長はそのときの興奮を思い出す。
 高田さんも「思わず校歌を歌いました」と目を潤ませた。
 天野実さん、信子さん夫妻は、ブラジルに住む娘の櫻井志子(ゆきこ)さんに会いに来た。志子さんは、イビウナ日伯寺主任開教使、櫻井聡祐さんと結婚し二人の子供をもうけた。親子は会場で久しぶりの対面を果たした。
 午後からは祝賀演芸会、夜には知事招待の食事会も行われ、一日中、お国言葉で歓談して過ごした。

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