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「円売り伝説の虚実」は本当か=ノンフィクション作家=高橋幸春=連載(2)=水本氏の沈黙は歴史の闇

2005年11月5日(土)

 私は期待して「下」に目を通した。水本氏に当然言及していると思ったからだ。
 「下」は「虚その①」として、パウリスタ新聞社刊「コロニア戦後十年史」は戦後の日系社会の混乱を記した資料で、移民研究者のテキストになっている。しかし、「完全な間違いではないが、非常に不正確で誤解をうみやすい表現」があり、原典をチェックしてから使う力量のある研究者はいなかった。日本ではその程度の力量のライターでも通用する。
 円売りは存在したのは「噂」であり、「円売り問題の噂がひろがって、その噂がコロニアの混迷をいっそう深めた」と訂正されるべきだ。
 「虚その②」は、「コロニア戦後十年史」には「ユダヤ人の商人が上海からアルゼンチン経由で大量の旧円や軍票をブラジルに持ち込んで売りさばいた」という記述があるが、これは勝ち組から流れたデマである。当時の記者にはそれを検討するだけの余裕はなかった。書いた記者から後年確かめたことだ。
 移民研究家でもあった半田知雄氏も円売りの被害者に直接あったことはないと言っていた。では円売りはなかったのかというと、醍醐氏は最後に取って付けたように円売りはあったが規模は小さかったとしている。円売り事件の実態は「噂」でしかなかった。半田氏も醍醐氏もこの結論に達した。以上が「下」の内容だ。
 私が期待していた円売りと水本氏の関係は、何一つ書かれてなく、肩すかしを食った感じがした。
 醍醐氏自身が書いているように、コロニアでは円売りについては議論されてはこなかった。それは水本氏がサンパウロ新聞の社主だったことが大きく影響していると、私は思っている。説明するまでもなく、新聞は権力であり、特に水本氏の怒りに触れるようなことはしにくい雰囲気が当時のコロニアにはあった。
 私自身、パウリスタの記者として取材に動き始めた頃、当時の編集長から、勝ち組、負け組の騒動について取材などする必要はないとはっきり言われた。編集長には知られないように、あるいはプライベートの時間を使っていろんな人たちから勝ち組、負け組の対立について話を聞いた。中には円売りに水本氏が関与していたという話もあった。
 七〇年代後半、パウリスタ新聞の経営状態は最悪で、サンパウロ新聞からも借金をしていたから、私が水本社長について取材しているなどと編集長に知られたら大変なことになっていただろう。水本氏はそれほど日系社会では権力を握っていた。
 その辺りの事情は当然醍醐氏も認識しているはずだ。しかし、水本氏が沈黙しているから、口を出すこともないと円売りについて発表しなかったという記述には、私は驚きを禁じえない。不思議で仕方ない。何故、水本氏は沈黙するのか。理由があるはずだ。その理由についてもいっさい書かれていない。
 水本氏が沈黙したら、何故、醍醐氏までもが口を閉ざすのか。作家なら真相を突き止め、発表しようとするのがむしろ自然ではないのか。どんな説得をしてでも真実を聞きだし、それを明らかにするのが研究者としての当然の姿勢ではないのか。歴史に空白や闇があっていいはずもなく、同氏の対応はまったく理解ができない。
 私にはサンパウロ新聞の記者や関係者に今でも期待感がある。水本氏が他界してから何年も経つが、十分な時間が経過した後、沈黙を破って事実が明らかにされることはよくあるからだ。それを醍醐氏に求めるのは無理なのだろうか。      つづく

■「円売り伝説の虚実」は本当か=ノンフィクション作家=高橋幸春=連載(1)=醍醐氏説に落胆と苛立ち

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