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ブラガンサ連合日会50周年祝う=指導者、完全に代替わり=「子弟教育に力入れる」=31歳辻会長、気持新たに

2005年11月22日(火)

 【既報関連】ブラガンサ・パウリスタ連合日本人会(辻正美会長)の創立五十周年記念式典が十九日午後三時から、同会館で開かれた。招待客など三百五十人~四百人が出席。半世紀の節目を盛大に祝った。同連合会会長は三十一歳、三世。式典の開催に当たって若手が積極的に関わり、訪れた人に世代交代を印象づけた。
 式には西林万寿夫サンパウロ総領事、古川長サンパウロ州刑務庁長官、石橋隆介JICAサンパウロ支所次長、ジョアン・カルロス・M・C・ヴォスコンセーロス副市長など多くの来賓が出席した。
 仏式法要がまず営まれ、会の発展の礎を築いた先駆者を偲び、その冥福を祈った。
 続いて、式典が開かれた。両国国歌斉唱の後、前園敏之氏が入植の歴史、バタタ栽培、奨学舎建設など、ブラガンサの日系移民史をかいつまんで説明した。
 西林総領事は「日系コロニアがブラジルで信頼を得ているのは、先駆者のたゆまぬ努力があったからこそ。ブラガンサでは、バタタによる成功が、その一例だと思う」とねぎらった。
 同市の日系移民史は、故青木林蔵氏(農業技師、産青連運動指導者)が三七年に入植したのが始まり。その後、市丸順一氏(故人)が一九四五年に恩師である青木氏を頼って同市に移り住み、大沢達三氏が四七年に入植して本格的なバタタ栽培に乗り出した。
 五四年ごろにはバタタの名産地になり、六三年にバタタ祭り・本部会館落成式が、市制二百年祭と同時に挙行され、全市を挙げての盛り上がりをみせた。
 古川長官は青年会のバイレに参加したことなど若き日のことを振り返った上で、会の運営が一世から二世・三世にバトンタッチしていることに触れ、若手の活躍に期待した。
 石橋次長は「JICAはブラガンサに、青年ボランティアを派遣している。言葉は文化をつなぐ道具。日本語に対する支援は大切なものだと考えている」と話していた。
 この後功労者表彰があり、青木氏、市丸氏、纐纈久雄氏、芦谷マツさん、植西晶子さんが記念品を受け取った。
 被表彰者を代表して、日本語学校の植西さんが挨拶。「日本語の授業を奨学舎でしていた頃には、先輩諸氏ががんばってこられた歴史を感じ励まされた。ここで学んだ生徒が両国を結ぶ架け橋になれるよう努力していきたい」などと語った。
 辻会長は移民史を踏まえた上で、「市の協力を得て体育館の屋根をかけるなど、会の発展に知恵を絞っています。子弟教育には、力を入れていきたい」と気持ちを新たにしていた。
 最後に会館前に設置された記念プラッカを除幕。体育館で、日本語学校生徒の発表やアチバイアの太鼓グループの演奏があり、出席者を楽しませた後、祝賀会に移った。

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