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醍醐氏円売り論への疑問=連載(上)=ノンフィクション作家 高橋幸春=無責任な記述気になった

2005年12月01日(木)

 ニッケイ新聞の連載、興味深く読んだ。私への反論はなにもないということなので、あえて反応する必要もないと思う。しかし、無責任とも思える記述が気になり、もう一度私の考えを述べておくことにした。醍醐氏は私の前稿を、金がらみでサンパウロ新聞に書いたと同氏を中傷するグループから再燃と記しているが、私が前稿を書くに至ったのは、サンパウロ新聞に書かれた醍醐氏の原稿が契機だ。私はその「中傷記事」を読んでいないし、ましてやそれに触発されたわけでもない。
 まず円売りについてだが、醍醐氏は戦前、戦中、サンパウロ新聞前社長の水本氏は広告も出していたし、両替を扱う店はいくらでもあった。水本氏だけをあげるのは「個人攻撃で歴史の議論としては成立しない」としているが、戦前、戦中の両替と戦後の円売りを同一に論じることの方がどうかしている。では戦後も「両替商」が乱立し、(そうすると醍醐氏の円売りは行なわれたが小規模だったという主張は崩れることになるが)円売りがさかんに行なわれていたと仮定しよう。
 それでも私は水本氏を厳しく批判する。理由は簡単だ。彼が新聞社社主だからだ。サンパウロ新聞の事務所があったとされる所で円売りの四人の身柄が拘束され、サンパウロ新聞は最初敗戦を報じたが、売り上げを伸ばすために日本が勝ったととれるような記事を流した。日本の戦勝が前提にならなければ成立しない円売りが、サンパウロ新聞関係者によって行なわれたとすれば、社主に厳しい視線が注がれても仕方のないこと。一人水本氏が成功したから攻撃されるなどと、こんな稚拙な問題のすり替えはすべきではない。
 日本でもマスコミ関係者あるいは教育関係者が反社会的なことをすれば実名報道され、顔写真だって新聞やテレビに公表される。それは一般の個人より高い社会的規範が求められるからだ。醍醐氏はこうした事実にはいっさい触れず、円売り問題を水本氏の人柄論に堕し、それこそ歴史を見つめる視線でもなくその態度には誠実さ(一定の距離をおいて見つめる冷静さ)が感じられない。
 水本氏は「若いときは悪坊主」で「年齢とともに成長した」そうだが、私が取材をしたときは烈火のごとく怒り、子供三人を連れて日本に帰国する私の出国を妨害しようとする行為は「悪坊主」の域を出ている。「気持ちのよい付き合い」をしてきた醍醐氏には見せないもう一つの顔があることを、少しは疑って見るべきだった。
 水本氏が「アンチ水本派」を名誉毀損で訴えたことは知っていたが、その法廷に醍醐氏が立ったことにも内心驚いている。醍醐氏はジャーナリストというわけではないが、移民を取材したり資料の提供を受けたりして書く作業をしていることには間違いない。
 中立の立場で証言したようなことを言っているが、法廷に中立なんてない。醍醐氏は原告側(水本氏)の証人として出廷したのだ。立つのは自由だが、まともなジャーナリストならそんなことは絶対にしない。取材で得たものを記事以外に利用されたら、証言者だって資料提供者だって信頼して話をすることも、資料提供もできなくなるからだ。
    (つづく)