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我が家の”忠犬八公”物語

1月1日(日)

■本紙読者から愛犬便り

今年は戌年。犬といえば名犬、愛犬と、いずれも親愛の情のこもった言葉が浮かぶ。本紙愛読者にも犬好きは多いはず。そこで犬年にちなんで「我が家の”忠犬八公”物語」を募集したところ、たちまち多くの応募作品がよせられた。以下に犬との友情を描いた佳作七編を紹介したい。

■遥かな国、遠い国へ サンパウロ 鞠井 ベル

 わたしの犬はアルゴス。
『オデッセイ』で謡われた名犬の名だ。
     ☆
 トロイ戦争から帰還し、故郷の城に辿りついたユリシーズは、乞食のように身をやつしていたので、家臣はだれ一人、彼に気づかなかった。王妃は、まさに他の男と婚礼を挙げようとしていた。ただ、二十年前の井出の際には子犬だったアルゴスだけが、老いさらばえ、ノミだらけで塵芥野中に捨てられながらも、主人を待ちわびていた。ユリシーズの姿を見るなり歓喜して、その足元まで這って行くと、息絶えたという。
 この忠犬ハチ公の西洋版にあやかりたかったけれど、うちの犬は、ただの悪戯ずきの黒ラブラドール。だれも見ていないと、キッチンで家事にいそしんだり、三十三キロのジャンプ力にものを云わせて、高い棚の上をさらったりする、たいへんな甘えん坊だ。
     ☆
 昨年、わたし達がサンパウロで永住することになったとき、ブラジル人の夫はともかく、わたしにとっては初めて住む遠い国に、犬連れは心もとなかった。
 NHKテレビの朝の番組で、長年住み慣れた家を離れ、老人ホームに入居する人たちの愛犬の引取り手を探して歩くドキュメンタリーが放映されて、身につまされる思いをしたこともあった。
 ひとまず東京に残したアルゴスの預け先からは、「よく慣れて可愛いけれど、どうも寂しがっているようですよ」
 と消息が伝わってきた。
 そこで八ヵ月後、わたし達は犬を迎えに行った。
 羽田で検疫を済ませ、領事館でイヌのビザを出して貰った。東京から成田までワゴン車で、航空手荷物でサンパウロ国際空港へ、それからアパートまでは、のべ三十時間の長旅だった。
     ☆
 その夜、居間の床に横たわったアルゴスの寝姿には、何ともいえない安らかで静かな幸福感が滲み出ていた。地球を半周する長旅を、飲まず食わず粗相もしないで、がんばり通したのだ。
 こうして再び、わたし達の傍らに来てくれたアルゴスは、やはり忠犬なのだと思う・・

■わたしの愛犬マキ サンパウロ 佐藤 恵子

 マキが家に着てから はや十年がたった。生まれて四十日ばかりの愛くるしい秋田犬だった。
 娘にねだられて、買ってきたのはいいけれど、ちゃんと育てられるか心配だった。が、またたく間に元気に育ってくれた。
 その間、相当な数のスリッパや靴をかじられ、洗濯物をやぶられた。大切にしていた鉢植えの花などもずいぶんとだめにしてくれた。
 二歳半のとき初めてのお産で八匹の子犬を産んでくれた。惜しくも一匹は下敷きになって死んでいた。あとの七匹は元気に育ってあちらこちらにもらわれていった。
 子犬が生まれたのは、忘れもしない六月三十日小雨の降る寒い日だった。朝、九時ごろ一匹産まれていた。わたしはアルコール、脱脂綿、はさみ、手袋、タオル、ドライヤーを用意して、産まれてくるたびに、急いでへその緒を切ってドライヤーにかけ、暖めて、タオルで乾かして、親犬の乳房に頭をつけてやった。
 最後の子犬が産まれたのは夕方の五時だった。さすが狭い犬小屋の中での作業で、しばらくは腰痛に悩まされたのである。
 あれから七年半にもなるのにあの時、マキといっしょに子犬育てに奮闘したことを忘れることができない。朝起きたら犬小屋の中をのぞいて一匹、二匹、三匹と数えて全子犬が揃っていれば安心して、いなければ探して親の近くに連れてきてやったりした。
 生後二ヶ月から三ヶ月ごろのかわいさ、無邪気さは何にたとえようもなかった。子犬同士でじゃれあったり、薬をのませるときはおおさわぎして追っかけ回し、一匹一匹、捕まえては口のまわりに薬のあとがあるか調べたりして飲ませていたっけ。あの頃の写真を今でも出してきては眺めている。
 あの年の暮れに、事情あって一時家をあけなければなくなり、泣く泣くマキをおいて一人日本へ旅立った。幸いモジの姉がマキを連れに来てくれた。
 日本に着いて姉の家に電話したら、マキが鎖をちぎって、いなくなっておおさわぎしたと言われた。でも一晩じゅう歩き回ったのだろう、どろんこになって帰ってきたそうだ。
 わたしは残念ながら犬の気持ちはわからない。けれどマキは我が家をめざしてどんな気持ちで歩き回ったのだろう。ああ車にはねられなくて、無事に帰ってきて良かったと安堵した。
七ヶ月後帰ってくることができた。すぐに迎えに行った。あのときのマキのよろこんだ様子、言葉では言い表すことができない。
 マキも一匹になってさびしかろうと、五歳になったとき二度目の子犬を産ませた。二〇〇一年三月三日、ひな祭りの日だった。しかしこのときのお産は難産で午前五時に一匹産まれてその後は午前十一時になっても産まれなかった。普通ではないので、犬猫病院に連れて行ったら、即入院ということになった。帝王切開をしたら、中で一匹死んでいたそうだ。親犬と一緒に子犬も入院していた。乳房のところだけ開けて包帯しているので、お乳を飲ませるのに大変だった。一匹だけ生きていたのでビトリアという名前をつけた。その子犬も元気に育ち早や六歳にもなろうとしている。どこへ行くにも親子でいっしょでないとしょうちしない。散歩もいっしょに連れて行っていたが、最近はわたしのほうが引きずられて転んだりするので、ちょっと控えている。
 「マキちゃん元気?」独立している娘が電話してきたので、「うん、元気でいるでしょう。」「ううん、家のマキちゃんよ。」と言われた。「ああ、そうだったね。家のお嫁さんもマキちゃんだったね。」と言って笑った。
 先日、姉がきて、
「マキも年をとったんだね。憂鬱そうな顔をしている。人間と同じだなあ。」と。そう言われて見ると動作も鈍くなったし、犬小屋で寝ているほうが多くなったし、この先 何年生きてくれるか判らないけれど、できるだけ平和な生涯を閉じてほしいと思っている。

■わが家のハチ公 サンパウロ 西原パウロ

子供の頃から動物好きで特に犬が好き、大きくなったら家を持ち犬を飼いたいのが夢だった。
 念願のマイホームも手に入りさあー犬…でも、犬のフェイラに行って「これいくら?」と言うのはいや、アミーゴの中で犬を飼っている人を探した。
 「見つかった!」探し求めていた人はブラジル人で茶道の有名人C氏、話題の犬は室内犬のプードル種、ちょうど雌雄二匹を生んだばかりと「くれー」「もってけ」で早速、家を訪問し雄を選び家内はまるで赤ちゃんを抱っこするように我が家に着いた。
 娘のパウリ―ナ「まあーかわいい『ラッキー(幸せ)』」と叫び即座に名前はラッキーと決まった。
 ラッキーは今では完全な家族の〝一人〟。
 犬の餌に牛肉の一級品ミンチ、水はミネラルだけ、ポ語の民間諺の悲惨な生活をVIDA・DE・CACHОRRОと云うがこれはラッキーには全然合わない!面白いのはママが日本語だけしか使わないのでラッキーも〝ブラジレイロ〟のくせに日本語だけしか分からない!
 終わりに犬(ワン)キチの方々へ(メールマガジン)より
   「犬の十戒」
(1)私の生涯は十年から十五年ほどでしかありません。その間少しでもあなたから離れていることは、とても辛いのです。どうか私を飼う前にそのことを考えてください
(2)あなたが私に望んでいることを理解するまでに時間をください。
(3)私にとって一番幸せなことははあなたからの信頼なのです。
(4)長い間、私を叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい。あなたには仕事があり、楽しみもあり、そして友達だっているでしょう。でも、私にはあなたしかいないのです。
(5)時には私に話し掛けて下さい。あなたの言葉がわからなくても、私に話しかける声で理解でき、又一日一回だけでも抱きしめて下さい。
(6)あなたが私をどんな風に扱っているか気付いて下さい。私はそのことを永遠に忘れません。
(7)私を叩く前に思い出して下さい。私の歯はあなたの手の骨を粉々の噛む威力があるけれど、私は絶対にあなたを噛んではいけないと心に決めているのです。
(8)あなたが私を叱る前に考えて下さい。食事はあげているか、長い時間一人ぼっちにした…年をとって心臓が弱っているかも…。
(9)いつか私が年をとったらいつまでも面倒を見て下さい。あなたも私と同じように年をとるのですから。
(10)おわりの時は最後まで傍にいて下さい「辛い、知らない内に逝って…」など決して言わないで欲しいのです。あの世でも私は永遠のともですから、だから忘れないで、私があなたを愛していることを。

■愛犬に倒されて イタニャエン 稲垣 八重子

 この海岸地に移りきて早、夢の如く三年は過ぎた。娘の愛犬五匹にも、すっかり慣れついたおばあちゃん。
 或る朝、汚れたタペッチを洗濯機で洗って貰わんと、二階から降りて洗濯場へぽいと、投げた。すると番犬のシュシャが走って来てタペッチを引っ張って行こうとする。
 私はあわてて階段を降り立ってコラコラと、引っ張ろうとした。すると、すっかり浮かれ戯れた犬は喜んで、私の胸に飛びついた。
 ヨチヨチ歩きの老婆はいっぺんにぶっ倒され、左の腕を折ってしまった。
 パストール・アレモンとか云う種類の堂々たる体躯の番犬。怪我も油断から、こんな大きな犬が戯れてくるとは思ってもいなかった。
 この腕の怪我の治療に一ヶ月ばかり、お医者通いをして、リハビリにも一ヶ月は通ったのだった。
 こんなひどい目に遭った私に、犬は知らん顔で尻尾を振って寄って来る。すると私も、腕の痛さも忘れ、シュシャの頭を可愛い可愛いと撫でてやる。
 私の大怪我なんか全く知らん顔、それでもこの犬を憎めない。不思議な程、人間と犬との愛情が潜んでいるように、感じるのだった。
 犬は確かに賢い、そして、いつも人と共に暮らしているので、懐こくて可愛くて、犬好きな人は我が子の如く可愛がる。 
 娘の飼犬もみな、私によく懐いてくれるので、どの犬も呼べば嬉しげに、走ってくる、尻尾を振り。
 お犬さん達もみな長生きしてねーー。

■ペチ公の市に泣く ボトゥポランガ 佐藤太一郎

 犬は何時でも舌を出して口を開けて居るものである。犬の體の毛穴は汗を出さない様に出来て居るので、口から汗を出す、格好が可愛らしく見られる。
 我は十二支の十一番目となって居る。さて、私は子供の頃から犬が好きであったけれど、日本では犬を飼った事がなかった。ブラジルに来てからムダンサをする度に、家には犬が飼われて居た。ファゼンダを出てから五ヵ所、場所が変わって只今の所が最後となり落ちつく事になりました。その間、何頭もの犬が居りましたがその中で特に好きだった犬が居りました。名前をペチ公と呼んで可愛がったものです。白と黒のまじり毛をして美しい犬でした。ペチ公は、十四年間、私の家に居て亡くなりました。死んだ時、愛情と云うものでしょう、手放しで私は泣いてしまいました。只今はウラ庭の空き地にペチ公のお墓があり、植えた花が咲いて居り、茶碗に水を入れて供え見守って居ります。私の親愛なる友だったのです、今は風だけが横切って通り抜けて行きます。さて、ペチ公のお話をしてみましょう。
 私の家を出ると、三十メートル先が角になって居り裁判所があります、その角を右下に行くと次の角に和鵜便局があり便利な所です。毎日新聞・手紙等を取りに行きます、私が家を出る足音に何処に居ても走って来て姿をみせ、前になり後になって後をついて来たものです。あの頃カイシャ・ポスタルがあって戸を開けるのを待って新聞が出されると口に加えて先になり私が少しでも、遅れると待って居たものです。裁判所の前に電柱があり、毎度の事そこへ来ると新聞紙を置いてから、後ろ足を上げておしっこをするのが常時であり、それを見て居た人達が笑ったり感心をしたものでした。ある日、その中の一人の方がペチ公を呉れないか、と云われた時、頭を横に振って答えたのでした。家に帰ると新聞を妻に渡し、他の人には渡した事がありません、これもペチ公の考え方だったのでしょう。賢く怠ける事がなかった。一日・二回の御飯をやる夕方は連立って散歩をしたものです。犬は主人を絶対に信頼をして行動をとる人間の友達として気を許せるのは犬より他にはありませんでしょう。先ず忠犬ハチ公・おなじみは秋田犬・紀州犬・北海道犬・四国犬・と犬は何時でも人間のそばで生きて居る、人間も又犬がいなくては生きて行けないのかも知れない。ペチ公が亡くなり別れが悲しくて私は、もう犬を飼わない事にしたのです。写真を見て居るとあの頃が甦って来ます。今は妻もなく、ペチ公もいない独身になった私、人間の道は、この様に出来て居るのだと思いながら、その日には泣きたくなる事もある。せめてもの私の慰めは、お盆の日に妻のお墓詣りをして、ペチ公のお墓にも好きだった物を供える事を楽しみにする様になりました。今日も又雨となる様で西空が真っ黒である。そして風が出て来た。私は家の中に入りました。

■メイ犬花ちゃん サンパウロ 貴島  正子

 秋田犬の花(メス)が家の娘になったのは もう5才を過ぎてからです。田舎の兄家族が 日本へ引き上げることになり、飼われていた犬達をカゼイロに任せるに偲びず、サンパウロに住む わたし夫婦が引き取ったのです。 ちょうど ソーグロ夫妻と同居しようとしていた矢先だったので、 急遽 探していたアパートを家に変え、今 住んでいる家が見つかったのも、 この犬達のおかげと感謝しています。 自分達よりも 上のレベルのこの家を見に行った夜、主人が”この家、自分達の物になるよ”と言った時、 まさか?と思いました。”家の番号を見ろよ 二ナ二ナじゃないか、二ナハナ(2787)だったら もっと良かったのに”(犬の名前が二ナとハナ)それが 現実になりました。
 さて 迎えた花ちゃんですが、秋田犬は度胸が良い筈ですが、これがさっぱり。 変わったバケツ一つあっても もう怖くて 怖くて 通れない。でも 道行く人が振り返るほどの 器量良しで 飼い主のエゴを満喫させてくれました。人だけでなく、車までもがバックで 戻って来て ぜひ家の犬のお嫁さんと望まれたことが 4~5回。でも 深窓の花ちゃんを見ず知らずの輩に指一本触れさせたく無くて 全部 断りました。
 花ちゃんは ”甘い甘い病”にかかってしまったと言う程に 甘いものが好きでした。お菓子や飴の包装紙の カサカサとした音がすると、眠っていても おメメがぱっちり。こちらの口が動いていれば くれとねだり、あげないと這い登って来て、自分の手を こちらの口につっこんで来ます。 
 如何に花に気づかれずに お菓子を食べられるかを、主人と 毎晩 競い合っていました。
 また 花ちゃんはお酒もいける口で、 特に日本酒とあま~いリキュールが大好き。 でも泣き上戸で、アルコールが入ると 即座に大粒の涙が ボロボロ。リキュールに至っては、 気配を感じると一番に駆けつけ くれと催促、あげないと 例のごとく這い登ってきて オテテを口に突っ込みます。あまりあげたくないので 指をリキュールに入れ舐めらせ、最後はグラスに少しだけ残して 舐めらせていました。
 二ナが死んで、花ちゃんを一人(匹)で外に寝かせるにしのびず、 わたし達の寝室に 共に4ヶ月寝ました。 最初 夜 おしっこに起こされ、戸口で待っているわたし達に、花は”戸をしめないでね!直ぐに 戻ってくるからね!閉めないでね!”と懇願、それも2~3日でストップ、 以来 夜 起こされることは  ありませんでした。 でも 新しく子犬のジーナが来たら、自分から”今日からジーナと一緒に外に寝る” と宣言。
幾つもの 良い思い出を残してくれた花ちゃんですが、 子宮の病気になり、手術の甲斐もなく、最後は私の声に 薄目を開けシッポを半分だけ振って 10才の命を閉じました。

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