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阪神大震災から11年=あの頃、日系ブラジル人は――被災体験記者が聞く=連載(3)=車椅子生活になった今=前田さん=演劇、福祉支援実践し幸せ

2006年1月19日(木)

 地震前日の夜、「気味が悪い」と感じるほど大きく、濃いオレンジ色の月が出ていたのを今でもはっきり覚えている。地震の予兆と思われるものをあとになって「そういえば」と思い返す人が多い。
 当時、兵庫県尼崎市内の工場に出稼ぎをしていた前田シジネイ晃生さん(あきお、30、三世)も前日、ひどい吐き気に襲われ、地震で車椅子になってしまう夢を何度も見た。
 その日は、近隣の芦屋市に住む恋人のアパートにいた。いつもなら朝起きてすぐにはトイレに行かない前田さんだが、その日は違った。「なぜかわからない。目が覚めてすぐにトイレに行った」。外に出ようとした瞬間、もの凄い音と同時に始まった揺れで、和式便器に後ろ向きに座る形に飛ばされた。そこから身動きがとれず、両側から崩れる壁と天井に押しつぶされてしまった。 
 「生き埋めになった六時間は、小さい頃からのことを思い出した。弟についた嘘まで思い出したよ」。痛みはなかったというが、寒さで震えていたという。救助されたあとは、ガレージで夜まで寝かされた。ベッドに寝ていた恋人は軽症ですんだ。あの時、トイレに行かなければ。「悪いことした覚えないのに、何で俺が怪我したんだってずっと考えてた」。
 大阪市立大学病院で手術をし、一年間入院した。当初は肝臓もやられていたため起き上がれなかったが、その後、半身不随になった足でのリハビリ生活が始まった。
 毎日、日本語で日記を書き、医師や看護婦がそれを添削校正してくれた。「おかげですごく上達した」。次に入所した明石リハビリセンターではバスケットボール、テニスなどのスポーツも始めた。マラソンでは「第八回車椅子マラソン大会男子の部」にも出場し、見事三位を獲得。その時のトロフィーや写真を持ってきては懐かしそうに話す。
 「自分の生まれた国に戻ってきて同じ身体障害者の人たちに元気を与えようと思って頑張っています」。九七年に帰国し、コンピュータープログラマーとして活躍。その傍ら、身体障害者で構成された劇団「grupo cadeirantes」で役者として舞台に立つ。現在、練習に励んでいる演目はオズワルド・モンテネグロ作の「vale encantado(歓喜の谷)」。前田さんとしては三作品目の出演となる。ピノキオ、サンタクロース、ピーターパン、ロビン・フッドなどさまざまなキャラクターが住む谷をテーマにした喜劇だ。
 「一番初めのNoturnoという劇は印象に残っている。劇が始まることがすごく嬉しくて、舞台裏で泣いてしまったよ」と振り返る。「自分が劇に出るなんて思っていなかった。でも、みんな家族みたいに協力しあえるし、すごく楽しい」という。「good morning」という二作品目のビデオを見せてもらったが、そこには、はつらつとした笑顔で歌う前田さんがいた。
 現在は、障害者の職業支援を目的としたNGO団体を立ち上げようとするなど、意欲的だ。
 「今過ごしている人生は、たとえ車椅子でも一番幸せです。辛いことはもちろんあったけど、悲しい思いをしたことは一つもなかった」と前田さん。今では、もう一度神戸に戻りたいという。「地震で死んでいないんだから、これは神様から貰ったチャンス。最後の最後まで楽しく過ごさないと、いつ死ぬかわからない。車椅子でも幸せになれるんだってことをもっとみんなに伝えたい」と堂々とした顔で言い切った。
 「vale encantado(歓喜の谷)」は、二月毎週土曜日、日曜日にテアトロ・ジアス・ゴメス劇場(Rua domingo de Morais,348-V.mariana)で行われる。時間は未定。問い合わせ電話は11・5575・7472。または、11・9622・4626(前田さん)まで。
(つづく、南部サヤカ記者)

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