阪神大震災から11年=あの頃、日系ブラジル人は
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阪神大震災から11年=あの頃、日系ブラジル人は――被災体験記者が聞く=連載(4)=苦難乗り越えた日系人=「記者も忘れず生きたい」
2006年1月20日(金) 昨年十二月二十二日、総務省消防庁は、兵庫県内の阪神大震災の死者数六千四百一人を改め、一人多い六千四百二人とすると発表した。十一年経った今でも爪あとは残っている。それとは裏
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阪神大震災から11年=あの頃、日系ブラジル人は――被災体験記者が聞く=連載(3)=車椅子生活になった今=前田さん=演劇、福祉支援実践し幸せ
2006年1月19日(木) 地震前日の夜、「気味が悪い」と感じるほど大きく、濃いオレンジ色の月が出ていたのを今でもはっきり覚えている。地震の予兆と思われるものをあとになって「そういえば」と思い返す人
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阪神大震災から11年=あの頃、日系ブラジル人は――被災体験記者が聞く=連載(2)=夢か現実か分らなかった=猪坂スエリーさん=初体験、恐怖で震え
2006年1月18日(水) 地震発生から七日後の二十四日午前、グアルーリョス空港に三十六人のブラジル人被災者が無事、到着した。帰国費用はブラジル政府が一切負担。一刻も早く、ブラジルに帰って親、兄弟に
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阪神大震災から11年=あの頃、日系ブラジル人は――被災体験記者が聞く=連載(1)=倒壊家屋の下敷に―失神=筒井律子さん=受けた沢山の優しさ
2006年1月17日(火) 午前五時四十六分―。また、あの寒い朝を思い出す。一九九五年一月十七日、近畿地方を襲った阪神・淡路大震災は、一瞬にして神戸を灰色の街に変えた。記者は当時十一歳。被害が最もひ