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コラム 樹海

 先日セアザに取材でよったおり、今でも日系人の姿が実に多いことに感銘を受けた。コチア、南伯がなくなって以来、ほとんど取材に行かなくなっていた場所だ。八〇年代までは、セアザで働く半分以上が日系人だったと証言する人もいる。まさに日本人とは切っても切れない場所だ▼野菜売り場の巨大パビリオンの二階からの眺めは実に壮観だ。野菜を入れた無数の木箱が整然と並び、忙しそうにカヘガドールが荷車を引く。正規の登録をしたカヘガドールだけで三千六百人、もぐりを入れれば五千人は下らないという。その活気に圧倒される▼毎月二十四万トンの野菜、花、魚、果物などが卸売りされる。週三回のフェイラ(小売り)でも毎月二十五万トンが販売される。まさに、南米最大の都市の食糧庫に相応しい規模だ▼一九六五年にサンパウロ市のカンタレイラ市営市場からこちらへ移った。その二年後、まさにコチアや南伯がブラジル農業を牛耳っていたその頃に、皇太子ご夫妻(現両陛下)が来伯された▼ご来伯時の邦字紙をひっくり返してみると、見開きぶち抜き二段見出しというド派手なレイアウトに驚いた。当時の熱狂的な歓迎の雰囲気が伝わってくる。そのような大歓迎の一端として造成した日本庭園が現在、半ば放棄され、草ボウボウになっているのは誠に残念なことだ。数十年来そこで働く日系職員に、誰があの記念碑を作ったか尋ねてみた。「分からないんだ」。三十九年たった現在、移民史の重みではなく、風化を感じさせる哀しい返事だった。(深)

06/02/02

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