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熱戦繰り広げた=全パラグァイ青年野球=移住70周年記念行事の幕開け飾る

2006年2月10日(金)

 四日と五日、イグアスー球場で第十九回全国パラグァイ青年野球大会が開催された。今回は日本人のパラグァイ移住七十周年とイグアスー移住地入植四十五周年、二つの記念を祝う大会となった。主催は全パラグァイ少年野球連盟(工藤好雄会長)で、地元イグアスーの日本人会(栄田祐司会長)が後援した。
 大会長・工藤好雄(岩手県、ピラポ移住地)、大会執行委員長・栄田祐司(福岡県)、審判長・工藤敏男(岩手県、イグアスー移住地)という役員構成で、全国から八チームが出場した。
 会場となった球場は、一九九O年初期に日本のプロ球団の一つ・ヤクルトでエースの一人として活躍した岡林洋一さん(二世、父親が高知県出身)が少年時代に活躍した場所だ。捕手として岡林さんとバッテリーを組んでいたという関富美男さん(父親が群馬県出身)は「洋一と一緒の時代は敵なしだったよ。全パ大会で三連勝したこともあった」と述懐している。関さんは今大会でも後輩たちにゲキを飛ばしていた。
 初日の四日は八チームが二組に分かれて総あたりで試合を行い、上位二チームずつが五日の準決勝に進んだ。準決勝に進出した四チームはピラポ23キロ(森一男監督)、ピラポ中央(島郁監督)、ピラポ富美村(西村康生監督)、イグアスーA(久保強監督)だった。
 もともと、戦いよりも交流が比重を占める大会だ。ラパス・チーム監督の秦泉寺泰さん(二世)が「このような大会は日本文化の継承にもつながり、意義あることだ。そのような気持ちを込めて指導している」と述べていた。「幼少から野球をやってきた仲間たちと年一回会えるのが大会の楽しみだね」とはアスンシオンチームの菊池幸樹監督(二世)の弁だ。これらの言葉が暗示するかのように、初日の夜は日本人会サロンで懇親会が行われ、選手と応援団が歓談の時を過ごした。
 裏方を支えた人々の役割も見逃せない。イグアスー移住地には少年野球父母の会(名倉マルシアル会長)がある。「子供の時から野球に参加するのはチームワークの醸成や情操教育に役立ちます。が、このスポーツは遠征が多いのでカネがかかります。遠征費用作りが父母会の大切な役目ですよ」と名倉さんは率直だ。三日間、母親たちは弁当や懇親会の材料仕込と料理作りの〃勤労奉仕〃に多忙だった。
 準決勝でピラポ中央チームの選手が最終回裏の二死で3点ホームランを打ち大逆転を演じた。このドラマ的な展開に満場の観客が感動し、歓喜した。野球の醍醐味を発揮した一場面だった。決勝戦ではピラポ23キロチームに負けたが、見る者に感動を与えた功績は大きい。優勝したピラポ23キロチームの森一男監督は「気力・体力・ガッツ・チームワークの結果」と明解に総括した。
 大会を終えて、工藤好雄・全パ少年野球連盟会長は「パ国で少年野球を始めて二十九年、青年野球が十九年、来年は三十年目を迎える。アルゼンチンやブラジルなど隣国との交流試合を考えたい。参加する若者たちの励みにもなる。楽しい野球を通して、日系同士のつながりが強化されることも期待している」と未来志向の夢を披歴した。
 この夢が広がることを暗示するような記念大会であった。(渡辺忠通信員)

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