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10代に日本就労した女性が――名古屋市立大学=博士課程を射止める=ベレンの矢野さん=人生設計しっかり=目指すはアマゾニア大学教授

2006年2月17日(金)

 ゲシュタルト心理学を学び、将来、アマゾニア大学(パラー州ベレン市)で教鞭をとりたい、という目標を持つ矢野ルシアネ・パトリシアさん(32、ベレン市)が、去る六日、名古屋市立大学博士課程に合格した。矢野さんは、人生設計がしっかりした人だ。十代の終わりから二十代にかけて日本で就労していた。少し遅れたが、二十三歳で大学に入り、心理学を学び始めた。それから、目標実現のため、まっしぐら。現在の達成ぶりからすると、間違いなく「大学教授」は実現するだろう。
 矢野さんの履歴をみると、九六年ベラクルス高校(ベレン市)卒業、この時点で二十二歳。高校に入学するまで、五年余り日本で就労していたという。日本語の会話能力は日本人同様である。
 九七年一月アマゾニア大学入学、〇〇年十二月卒業。〇一年二月アマゾニア大学大学院入学。専攻はゲシュタルト心理学。これは、精神現象を構成しているそれぞれの要素を統一的に把握しようとする学問である。大学院で学びながらベレン市内の日本語学校に入学して、日本留学に備えた。会話能力に加えて、読解力、記述力、聴解力をつけようとしたのである。計画的だ。
 〇二年七月、宮崎県人会アマゾン支部の小野和親支部長が、矢野さんを海外技術研修員にと宮崎県知事に推薦、同年十月、本人が宮崎大学で心理学を学びたいと志願、同年十一月、宮崎県人会の吉加江正健ネルソン会長(当時)が宮崎大学に推薦、入学。
 〇三年宮崎大学大学院。〇四年名古屋市立大学大学院修士課程へ。〇五年同修了。〇六年一月同博士課程を受験、去る六日合格が発表された。受験者十五人、うち五人が合格。矢野さんはその一人だった。
 矢野さんの祖父矢野義男さん(79)は、宮崎県川南町の出身、五四年渡航の戦後移住者。その縁で、宮崎県の県費留学生になれた。
 アマゾン支部の小野支部長によると、矢野さんは非常に活動的で、礼儀正しく、人の話をよく聞き、常に適切な返答がある。アマゾニア大学の卒業式では、卒業生を代表して答辞を述べた。「自分の希望の人生を一歩一歩歩んできた」と評価。アマゾニア大学院に入るまでにフンダソン・サンタカーザ(パラー州立)で一年間、アマゾニア大学のクリニカで一年間研修しているという。
 家族は、名古屋市でガソリンスタンドのマネージャーをしている夫と小学生の長女。
 *アマゾニア大学* 市立大学。ベレン市内にキャンパスが三カ所ある。学生数八千人余り。法律、経営、文学、建築、芸術、コンピュータ、教育、社会、理学療法など多くの学科がある。

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