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合併にまた1歩前進=沖縄系2団体=県人会も全会一致で承認=臨時総会で文書合意へ=「機運が熟した」=固い握手交わす

2006年2月22日(水)

 沖縄系二団体、合併へ――。ブラジル沖縄県人会(与儀昭雄会長)の第六十九回定期総会が十九日に開かれた。この日は長年話し合いを続けてきたブラジル沖縄文化センター(ジアデマ市)との合併を審議。三時間におよぶ議論を経て、全会一致で承認された。今後は両団体による委員会を組織して、合併の枠組みを検討していくことになる。文化センターと県人会。三十数年にわたってそれぞれの道を歩んだ両団体は、百周年を前にまた一歩、合併に向け歩みを進めた。
 今年の総会には県人会各支部の代表、会員など約百三十人が出席。ブラジリアやカンポ・グランデ、ロンドリーナ、マリリア、アララクアラなど遠方の支部からも代表者が来聖した。
 この日最も時間を費やしたのが、県人会とブラジル沖縄文化センターとの合併問題。両団体で検討委員会を組織して、約三年にわたって話し合いが続けられてきた。センター側はすでに昨年十二月十七日に臨時総会を開き、合併への話し合いを進めることを全会一致で決議。県人会側の総会での承認を待つだけとなっていた。
 センターの与那嶺真次理事長が臨時総会決議の経緯を説明。続いて与儀県人会長がマイクを持ち「先輩が県系人のために作った二つの団体を、私たちの世代の責任として合併して、より大きな組織として県人社会に尽くしたい」と合併に向けた希望を語った。
 最初は学生寮、後に渡伯した県系移住者のための移住センターとして六七年に建設の始まった沖縄文化センター。初代理事長を務めた花城清安氏(元在伯沖縄協会会長)、県系の仲村渠パウロサンパウロ州議ほか関係者の尽力により建設されたが、推進派と慎重派の意見の相違もあり、七一年に沖縄協会から分離。現在にいたっていた。
 この日の総会では、センター建設当時を知る関係者をはじめ、出席者がそれぞれの意見を述べた。当時の歴史を振り返る人がいた。「詳細は後に検討するとして、今日は合併する、しないを決めるべきでは」という意見も出た。意見発表は三時間近くにおよんだ。
 花城清安氏の息子で自身もセンター理事長を務めた花城清賢ジョルジさんも発言した。花城さんはセンター建設に尽力した父親、関係者の思い出を振り返り、「ウチナーンチュのためなら」と合併に賛意を表わした。そして「父や先輩の名が永遠に残るようにしてほしい」と付け加えた。
 最後に、センター理事長と県人会長をつとめ、合併検討委員会の委員長でもある山城勇・県人会評議員会長が発言。委員会が慎重に話し合いを進めてきた経緯を説明した上で、この日の議論について「合併への機運が成熟したことを物語っていると思う」と述べた。
 そして、総会の場では合併の是非だけを問い、後日両団体で合併の枠組みを検討した後に臨時総会を開くことを提案。議長が採決の挙手を求め、全会一致で承認された。
 県人会本部と評議員会から百周年に向けたいくつかの記念事業が提案されたが、議長の提案により、これらの案件を検討する百周年準備委員会を組織することが決まった。
 総会ではまた、県人会が今年創立八十周年を迎えることから、八月に記念式典を開催する方針を確認。同会では、これまで戦争中の十二年間の活動休止期間を差し引いた形で周年事業を行ってきたが、今年はそれを足して八十周年を祝うことになった。
 このほか、与儀会長から、県人会が月々の会費を払うことで県人会員が医療など各種の割引を受けられる保険に加入する件が提案され、実施に向けた検討を進めることを確認したほか、県人会の歴史や概要、国内支部の紹介を目的としたパンフレットの作成も提案され承認された。
 互いに合併の方針を確認した県人会と文化センター。今後は両団体役員からなる検討委員会が合意文書を作成し、その後、今年前半をめどに臨時総会が開かれる見通しだ。総会終了後、両団体の役員、歴代会長が見守る中、与儀会長と与那嶺理事長が握手を交わした。

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