2006年3月23日(木)
サプカイヤという巨木があって、これに人頭大の実がつく。この殻が熟すと自然にとれて、中の胡桃(くるみ)大のもっと細長い実がバラバラと落ちる。この実が落ちない前に、アララが固い殻を鋭い嘴でかじって穴を開け、中の種実を食べる。そのため、時期になるとたくさんのアララが集まって来るので、この名(大インコの止まり木)が出たものと思う。
サプカイヤの実は、外は革質の固い皮に覆われているが、中に白い実質があり、噛むとうすら甘い。炒ると、南京豆を炒ったものと同様の味がしてたいへん旨い。
夜は、銃の手入れをしたり、撃殻薬莢に雷管を入れる。火薬を詰め、鉛丸を入れて消費した分を補充すると、何もほかにすることがない。当番を決めて、不寝番を兼ね、煮ているアララの肉に水を足したり、火を絶やさぬよう、野獣の接近を防ぐなどの手筈を整えて寝てしまった。
第二日
うそ寒い明け方の風にウツラウツラしていると、いきなり頭の上から「グルルルグオー」「ガオーッ」とすさまじい吠え声がする。「オンサだ」とばかり、抱えて寝ていた銃をひっつかむなり、ハンモッから飛び降りて身構えると、先におきてカフェをつくっていたフィルモとシッコが腹をかかえてゲラゲラ笑い出す。
「何がおかしい」と眼を三角にすると、「ホラ、あれだよ、あれだよ」と言う。そして、近くの木の枝を指さす。見ると、雀より少し大きい小鳥が、逆光で色は黒くしか見えないが、しきりに枝の上を飛んではほかの枝に移っている。
「始めは誰でもびっくりさせられるんだ。俺たちも始めは胆をつぶしたもんだ」という。「へえ、あんな小さな鳥のどこから、あんな人騒がせは声が出るのかね」と驚くばかりである。
明日から奥地に入り込むとして、今日は食料の調達。フィルモとシッコは、銃を肩にして密林へ分け入って行った。
私と弟は、手頃な木を釣竿に見立てて切り取り、釣り針と糸を結びつけて、川の溜まりにソーッと近寄る。サッと竿を振って餌も何もついていない釣り針をぽちゃんと水に落とす。すると、下のほうからガバッと魚が上がってきて食いつく。間髪を入れずにぐいと引くと、うまくひっかかって、私の上を飛び越して後ろに落ちる。
二尾釣るともう釣れない。今度は、さきほど釣った魚を切って餌にする。たちまち二、三尾釣れるが、あとはウンでもスンでもない。
そこで場所を変えることにして、もっと下流の溜まりに行く。同じようにして何回か場所を変えて、トライラとジジューを小一時間で二十尾近く釣り上げた。ともに大きさは二十センチくらい。日本の台湾泥鰌(雷魚)に似ていて、性貪食、凶暴で、油断すると鋭い歯で食いつかれるが、こちらはピラニャで慣れているので、何のこともない。たちまちのうちに、片っ端から料理してしまった。
鍋にいれて、火にかけたところに、フィルモとシッコが帰って来た。ケイシャーダ(山豚)を三頭担いできた。さっそく小屋から少し離れた川床で皮を剥ぎにかかる。剥ぎ終わったら背骨を中にして三枚におろす。
さらに肉を骨から離して積み上げる。足の骨などは二つに切ってしまうが、これが面白い。大型ナイフでトントンと周囲に傷をつけ、今度はナイフの背でヤッと叩くとポキリと折れる。骨付き肉は鍋にほうり込んで、ぐつぐつ煮込む。積み上げた肉はよく開いて塩をもみ込む。次々に塩して積み上げ、終わると今度はこの肉を貯蔵にかかる。小屋の壁側で雨水の入らぬところを選んで穴を掘る。大きな木の葉を集めて底や周囲に敷いて、塩蔵した肉を積み重ねていく。最後に葉を入れて土で覆って、さらにつき固める。そして、目印に小さな木の枝を差しておく。
これは、留守中に野獣に荒らされたり、盗まれたりしないよう、かつ蝿がついて蛆(うじ)がわくのを防ぐためのもので、猟師たちの長年の経験から出た知恵である。つづく (坂口成夫さん記)
■アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(1)=旺盛な開拓者精神の発露=猟師とともに重武装