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40周年迎えた三井肥料=地域社会の発展に貢献=記念パーティで節目祝う

2006年4月29日(土)

 地域とともに四十年――。ミナス州ポソス・デ・カルダス市に本社を置くブラジル三井肥料(Fertilizantes Mitsui、本吉洋社長)が今年、創立四十周年を迎えた。ブラジル政府の要請をきっかけに誕生した同社。肥料を通じたブラジル農業への貢献を目的に今日まで歴史を刻んできた。同社では節目の年にあわせ種々の記念事業を実施。二十五日にはポソス市で地元関係者を招いて記念パーティが開かれた。
 リン酸肥料の「YOORIN」で知られるブラジル三井肥料は六六年四月二十六日、三井物産の子会社として設立された。
 その前年の六五年、日本から戦後初めての経済ミッションが来伯。カステロ・ブランコ大統領と会談した際に、ブラジル農業の発展に向けた協力を要請された。
 同ミッションの団長で当時三井物産の社長だった水上達三氏は、肥料を通じたブラジル農業への貢献を模索。同社がブラジルで販売をはじめていた溶成燐肥「YOORIN」の現地生産を目的に同社が誕生した。
 現在、ポソス市の工場では六つの電気炉でYOORINはじめ各種肥料を生産する。従業員は二百七十人。年間生産能力は十八万トン、売上げ(〇五年)は二億レアルに上る。原料のほか電力、水など、すべてを国内でまかなっている。
 記念パーティには、セバスチャン・ナバーロ・ビエイラ・フィーリョ市長をはじめ地元関係者など約百人が出席した。
 節目の年にあわせ、日本の三井物産から田中収・化学品第一本部副本部長、同肥料部の関根洋次郎部長、栗原仁次長、米国三井物産から土屋信司・化学品SVP、江越正三・肥料部課長が来伯。ブラジル三井物産の大前孝雄社長も訪れた。
 本吉社長は「経営の厳しい時期もあったが、四十周年を迎えられたのは、市の関係者や従業員、協力者のみなさんのおかげ」と会場に謝意を表わし、「世界が注目するブラジルの食料に肥料を通じて貢献できることは、三井だけの特権。これからもポソス市とともにさらなる発展をめざしていきたい」と力強く語った。
 田中副本部長は、同社の創立に関わった先人の決断、実行力を称えながら、「三井肥料がブラジルに貢献できるのなら、三井物産としても最大限の支援を続けていきたいと考えています」と祝福した。
 続いて祝辞を述べたナバーロ市長は「六〇年に二万五千人だったポソス市の人口は、現在十五万人になりました」と語り、同社が市の発展に果した役割を強調。「MITSUIは私たちの会社。同社が四十年間市の進歩に貢献してきたことは大きな誇りです」と述べた。
 会場では同社の歴史を振り返るビデオの上映や、歌手のジョー平田さんのショー、和太鼓演奏なども行なわれ、夜半過ぎまでにぎわった。
 このたび来伯した栗原次長は、昨年七月まで同社の社長をつとめていた。ブラジル駐在はのべ十年近くになる。
 肥料業界が好調だった八十年代から、九〇年のコーロル・プラン。九九年のレアル切り下げなど、「上がり下がりはありましたよ」と、同社の歴史を振り返る栗原さん。「ポソスの町、地元の人と一緒に歩んできた。四十年間お世話になりましたという気持です」と、カクテルでにぎわう会場で話していた。

   農業体験で地元に貢献

 四十周年を迎えた三井肥料。同社では記念事業として、地元の学校や養護施設に菜園を開く活動を進めている。二十五日、記念パーティに先立って市内の教育施設「児童交流センター(CAIC)」で、開園式が開かれた。
 新興住宅地にあるCAICには、四カ月から十八歳まで約千三百人の児童が通う。市長、三井関係者の一行は、マリア・リジア・モレイラ・デ・フレイタス校長はじめ子供たちに迎えられた。
 広さ二百平方メートルほどの菜園には、レタスやブロッコリー、コウベ、ねぎなどが所狭しと植えられている。開園式で本吉社長は、「このプロジェクトを通じ、子供たちが健康でバランスの取れた食事を取る手助けができたら」と語り「畑を大切に、みなさんで育ててください」と子供たちに呼びかけた。
 リジア校長も、子供が健康な食事の大切さや、野菜を育てる体験をする事の大切さを強調し、関係者に謝意を表わした。
 生徒たちから来訪した一行に記念品が渡され、一行からは記念のTシャツが贈られた。
 同社による農業体験事業「Projeto Horta Escola」は、今年十二月まで市内五校で実施される予定だという。本吉社長は「収穫する時にもぜひ来て、親も一緒に食べるところまで関わっていきたい」と抱負を語っていた。

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