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元首相の遺志継ぎ=日伯学園実現を誓う=大浦文雄・百周年総務副委員長

2006年7月4日(火)

 「訃報に接して本当にショックでした」。大浦文雄さんは肩を落とす。「お会いしたときは何ともない感じだったので・・・」。自身がコーディネーターをする、百周年記念事業のアルモニア日伯学園構想の件で、この五月十七日に会ったばかりだった。
 元首相と日伯学園構想の関係は、元をたどればちょうど十年前にさかのぼる。九六年の訪伯時、サンパウロ市で日系団体代表と面談、文協が企画した同構想の説明を受け、即協力を約束した。
 元首相は二十六日にブラジリアで首脳会談した際、さっそく同構想を口頭で説明、ブラジル政府の協力を取り付けるなど異例ともいえる迅速な対応を見せた。これをきっかけに、二年後の移民九十周年の記念事業案として急浮上したが、その後、用地の手配などで遅れ、結局は白紙に戻った。
 大浦さんは昨年九月、東京の議員事務所で秘書と三人で四十分ほど面談。大浦さんは九六年来伯時の写真を携え、まずそれを見せた。「懐かしそうに見てくれましたよ。低い声で、抑えた感じでしゃべる人だな」と思ったという。
 同構想の企画書の下書きをみて「私が日本の方を担当しましょう」と元首相は力強く約束。今回も同構想への協力を気持ちよく引き受けてくれた。
 この五月十七日にも四十分ほど二人だけで話をした。橋本元首相はまず十分ほどかけて企画書の最終案を読み、「よく煮詰めたな」と進展ぶりを誉めた。「剣道も入ってる」と笑顔を浮かべ、同学園に剣道部を作る話を喜んだ。
 最初に元首相は「企画書が完成したら二部送ってくれ」と言った。話しているうちに「やっぱり六部にしてくれ」と増えた。「我々の志しを分かってもらえた」と大浦さんは実感した。
 帰り際に歳を聞かれ、大浦さんは「十月で八十二です」と答えた。「元気だね。びっくりしたよ」と元首相は笑った。「日伯学園ができるまでは死ねませんよ」というと、元首相は「健康に注意してお互いにがんばりましょう」と励ました。大浦さんはその時を振り返り、「ブラジルに思い入れのある方でした」としみじみ語った。
 帰伯した大浦さんは急いで企画書を完成させ、日本に郵送した。ところが「届く直前に先生は亡くなられた」とため息をもらす。
 日伯学園委員会(和田忠義委員長)の名前で弔電も打った。大浦さんは「橋本先生が理解してくれた志し。その遺志をつぎ、構想実現に向け、今まで以上にがんばるつもりです」と意気込みを新たにした。

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