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豪雨の合間の静寂=レジストロ=灯篭流しに1万2千人=2千650基が川染める

2006年11月4日付け

 「第五十二回レジストロ灯籠流し」が一日、二日の両日、市内を流れるリベイラ川のほとり、パルケ・ベイラ・リオで開催された。地元、近隣などから一万二千人が来場。遠方からも多くのバスが会場を訪れた。「死者の日」にあたる二日は夕方豪雨に見舞われたが、その後天候が回復。午後七時過ぎから二千六百五十基の灯籠が彩り鮮やかに川面を染めた。太鼓、よさこいソーラン、盆踊りが会場を盛り上げ、打ち上げられた花火は、約一万レアル分(共催側発表)。リベイラ川沿いは訪れた観客らで隙間なく埋まった。
 一九五五年、リベイラ川での水難犠牲者の霊を供養するため七基の灯籠を流したのが、レジストロ灯篭流しの起こり。現在は同地文協、市、ブラジル日蓮宗、ベースボールクラブが共催で行っている。
 嵐のあとの静けさとはこういうものか――。「灯籠を流すときに、雨に降られたことは一度もないんです」と文協関係者はいう。
 午後四時過ぎ、レジストロは強風と豪雨に襲われた。用意されていた灯籠はビショ濡れになり、集まり始めていた観客らが引いた会場は、一時騒然とした雰囲気になった。
 が、それもつかの間。午後六時前には晴れ間が射し、空に大きな虹がかかる中、リベイラ川の清め式が始まる。数匹の鯉のぼりと色とりどりのすだれで飾られた船が川を上下し、太鼓を鳴らして祭りの開催を告げた。
 清め式ののち、「世界平和並びに先没者慰霊」が、日蓮宗身延山南米別院恵明寺の石本妙豊住職により、川岸の水難犠牲者追悼碑前で執り行われた。松尾治県連会長、連議に当選した飯星ワルテル氏、サミュエル・モレイラ元同市長(州議当選)、那須野秀男レジストロ百周年委員会委員長らはじめ、約百人強が焼香した。
 広場では、レジストロ名物マンジューバの刺身やフライが振舞われ、ヴァーレ・ド・リベイラ日系団体連合会(FENIVAR、山村敏明会長)が協力して、ヤキソバ、すき焼き、うどん、パステルなどを販売。絶えることなく人が集まる盛況ぶり。
 やぐらの周りでは、同地文協のリベイラ涼風太鼓、レジストロ川筋太鼓の面々が恒例の太鼓を演奏したほか、民謡大和会の花笠音頭、鳥取県人会による傘踊りなどを披露。周囲には何重にもなる人垣ができ、来場者も参加しての盆踊りでは手拍子がわいた。
 午後九時頃から花火を打ち上げ。鮮やかな光が、川面をゆく灯篭を照らし出した。
 花火が終わったとほぼ同じ午後九時半すぎ、会場は再び豪雨に襲われた。雷が鳴り、参加者らは蜘蛛の子を散らすように去り、盛り上がりを見せていた祭りは一瞬で終わった。
 花火の打ち上げ時間を繰り上げたのが幸いし、豪雨の合間に祭りのプログラムは全て済ませていたが、「こんな豪雨は五十年間で初めてですよ」と山村敏明実行委員長も驚いた様子だった。
 近岡マノエル同市開発経済労働課室長は「みんなが協力してやってくれます」と話し、「毎年大きくなってますよ」と笑顔を見せていた。
 灯篭流しにあわせ、同地文協ではリベイラ河畔に常設の土俵を設置、二日午後一時から奉納相撲が行われた。州内各地から参加した百二十人の選手の熱戦に、大きな人だかりができた。

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