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犠牲の上にある今日の平和=リンス=入植90周年式典盛大に=卒寿の節目に1千人集う=「この会館を永遠に」

2006年11月14日付け

 【リンス発】リンス慈善文化体育協会(安永和教会長)主催のリンス日本人入植九十周年記念式典と追悼法要が十二日、同会会館で開催された。ノロエステ線近郊の日系団体の代表者や会員など約千人が集会場一杯に集まり、盛大に挙行された。式典ではこの日にあわせて編纂を進めていた入植九十年史が配布されたほか、高齢者や功労者表彰、会館入り口に建設された日本庭園や記念プレートの除幕式も行われた。節目の年を盛大に祝った同会。二年後に控えた移民百周年に向けても大きな弾みとなったようだ。
 記念式典には西林万寿夫聖総領事夫妻や上原幸啓ブラジル日本文化協会会長、野末雅彦JICAサンパウロ支所次長らが駆けつけた。ワウデマール・サンドーリ・カザデイ同市長も出席し、祝辞を述べた。
 西林総領事はブラジル駐在員だった父親(故人)が四十年前に同地を訪れたエピソードを紹介。
 「私の父はリンス入植五十周年の年にこの地を訪れています。その四十年後に領事としてこの地を訪れることができたことに不思議なご縁を感じ、感無量です」とあいさつした。その上で同会の今後の発展を祈念すると、会場からは大きな拍手がおくられた。
 安永会長は入植当初の歴史を振り返り、立派な会館を後世に残し先人の苦労を称えた上で「この会館を永遠に守り続けていきたい」と決意を述べた。
 野末次長も「同地の今日の繁栄は先人の苦難の末に作り上げた土台の上に、二、三世の方々が発展されてきたもの。このまま活動を続けていただき、百周年という果実も大きく育てていって欲しい」と語った。
 続いて八十歳以上の高齢者表彰がなされ、来賓から一人ひとりに花立てなどの記念品を贈呈された。出席した約七十人の敬老者を代表して白川白さん(90)は「今後とも健康に留意して生活していきたい」と謝辞を返した。
 この他にも歴代の会長や市長、会の功労者への感謝状の授与がなされた。また同市ではじめて公立の学校教師として教壇に立った佐藤トシコさん、日系人として始めて神父になった近藤ノルベルト氏の表彰もおこなわれた。
 高齢者表彰を受け、婦人会の会長を務めた吉安愛子さん(81)は「二、三世の人が一世の気持ちを理解して協力してくれたことが嬉しい。日系社会がいつまでも続くようにお願いしています」と笑顔で語っていた。
 これらの式典に先立ち、午前八時からは仏式追悼法要が執り行われた。同会の会員や子ども達により、舞台前には果物や野菜などの供物が一杯に備えられた。
 リンス本願寺主管、岡山智浄導師の読経が響くなか、来場者それぞれが焼香をあげ先人の苦労を偲んだ。
 一九二〇年から記録が残っている過去帳によれば、この地で亡くなった日本人や日系人は三千九百三十人。
 それを踏まえて智浄導師は「多くの犠牲の上に今日の平和があることを忘れてはならない」と説法した。
 他には「移民祭の歌」や「御仏に抱かれて」などを安永会長の音頭で合唱した。
 式典は昼頃に終わり、来場者は会場内に用意されたテーブルを囲んで、婦人部のお手製料理に舌鼓を打った。昼食後には会員らによるカラオケや童話の合唱などが披露された。
 この日の食事は同会、農協、西本願寺の婦人部ら百人以上が用意。早朝五時過ぎから集まり準備した。また「お客さんを気持ちよく迎えたい」という思いから、会館の壁も新しく塗り直した。
 サンパウロ市在住で同地近郊のウニオン移住地に一九二〇年に入植した木村博さん(91)は式典を振り返り、「親戚一同の代表のつもりできました」。青年期までをこの地で過ごし「やっぱりここは私のふるさとですね」と懐かしそうに思い出を語っていた。
 同じくサンパウロ市から駆けつけた植田敏行さん(76)、登志子さん夫妻は、リンスで生まれた敏行さんの誕生日祝いを兼ねて式典に出席した。
 何か思い出に残るプレゼントをしたいと考えた登志子さんが企画したもので、敏行さんはこの日、幼少時代を共にすごした旧友との再会を六十年ぶりに果たした。「リンスの人たちはとても温かく、ほんといい思い出になりました」と夫婦で喜んでいた。

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