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JICAボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(68)=中村茂生=バストス日系文化体育協会=時間に対する私の流儀

2006年11月23日(木)

 ある日系人の紳士と待ち合わせをしたときのこと。いつも通り約束の時刻の二十分前には到着して、少し離れたところから待ち合わせ場所の様子をうかがっていると、約三分遅れでその紳士が姿を見せた。
 近寄って挨拶すると、遅れた三分についてしきりに弁明される。たった三分なんですけど、と思いながら聞いていると、どうやら時間に正確な「日本人」である私に、ブラジル的な適当さで遅刻したと誤解させたくないというお気持ちらしい。
 日本人は時間に厳しい、というのは、こちらに来てよく耳にする評判だ。私はとくにブラジル人が時間にまったく無感覚だとは感じないが、待ち合わせの二十分前には着いてしまう自分はたしかに時間に対して神経質だ。
 小学校の頃、誰かのせいで授業開始が一分遅れたとき、「あなたひとりのせいで、ひとりあたり一分、クラス四十人で四十分の時間を無駄にしたことになる」と断罪されるのを聞いてぞっとしたものだ。
 まるで他人の人生の一部分を盗んだ極悪人かのような言い方で、そんな大罪を初心で気の小さい子供にしょえという酷な話だ。
 大人になって勤めた会社で教えられたのは、商談では必ず相手より早く現場に着き、待たせてしまったという負い目を相手に感じさせて少しでも優位に立て、だった。
 子供も大人もこんな環境だから、時間(というより他人の時間?)に対する意識が鋭敏になるのは仕方ない。でもどこかでやりすぎだろうと感じてもきた。これが経済大国を支える資質であるのは確かだとしても、例えば去年、兵庫県尼崎市で起きた列車事故の原因のひとつがここにあるとも言える。
 時間のことであまりイライラしないのは、ブラジルの人を見ていていいなと思うところだ。郵便局で待たされても、お店のレジで待たされても、そしてその原因を作っている係りのひとに改善への努力の様子がいっこうになくても頓着しないように見える。
 ああいう場での、日本のピリピリした雰囲気は思い出しても疲れる。私もその一員だったわけだが、帰国してもう一回その一員にならないようにできるだろうか。
 ところで待ち合わせ場所に早く着いた私は、なぜ相手が現れるまで遠くから眺めているのか。ある種日本的な気遣いだと思う(私だけだったらごめんなさい)のだが、それは相手を待たせず、かつ遅れて申し訳ないという気持ちを抱かせない配慮なのである。
 そのためには相手の出現を見届け、今来たかのようにおもむろに登場しなければならない。同じ考えの相手だと永遠に会えないことになるから、ほかにも細かな工夫が必要だ。
 「日本はいろいろめんどうくさくて嫌でしょう。ブラジルはのんきでいいわよ」とよく言われるけれど、いや、普通にやってきたけど、考えてみればほんとうにめんどうくさい。
 けれどブラジルの流儀にも、私には思いの及ばないようなややこしいものはある。こだわるところが違うというだけの話かもしれない。

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【職種】史料館学芸員
【出身地】高知県高知市 【年齢】41歳

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