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「日本女性の会」会長に小野田夫人=日本会議の女性団体=開拓30年の経験に期待=尾西兵庫会長=「しっかりした人」

2006年12月5日付け

 戦後フィリピンで三十年を過ごし、帰国後一九七五年からブラジルに移住した小野田寛郎元少尉(84)の夫人、町枝さん(69)が九日、「日本女性の会」の新会長に就任する。この日、東京・代々木の明治神宮会館で行われる設立五周年記念の集いで正式にお披露目となると、十一月三十日付の週刊新潮が報じた。就任を前にして、町枝さんは「全身全霊を傾け、全国四十七都道府県を回って、会の理念を呼びかけていくつもりです」と同誌の取材に答えている。約三十年間ブラジルで開拓生活を送った町枝さんの、今後の活躍が期待される。
 日本女性の会は、日本会議の「女性運動や教育運動に取りくむ」という方針にのっとって、二〇〇一年に設立された。夫婦別姓やジェンダーフリーに反対する活動を行ってきている。町枝さんは、元参議院議員の安西愛子会長に代わって、会長に就任することになる。
 週刊新潮によれば、町枝さんは「何度も固辞していたのですが、断りきれなくって、主人に相談したところ、〃やりたくてやれることではないから、やったらどうか。自分も協力する〃と言ってくれたので引き受けることにいたしました」。
 大学卒業後、上場会社事務職を経て、保健代理店を経営。〃偶然が重なって〃小野田さんと知り合った。七六年に結婚し、小野田さんを追って、マッド・グロッソ・ド・スルに移住した。
 ブラジルで農場の仕事をする傍ら、日本で小野田さんが赴く講演会の手配をすべて管理し、調整を行っている。
 移住当時から小野田夫妻を知る尾西貞夫さん(兵庫県人会長)は今年九月の兵庫国体で訪日した際に、小野田夫妻と会食、会長就任の報告を受けた。「自分がそこ(会長の職)までやりたくないって話してたけど、じっとしてない人だしよく話すし、できるんじゃないの」。
 町枝さんは、小野田さんの講演活動に随行して各地を回り、最近では自身の経験の講演も行っているという。〇三年には著書「私は戦友になれたかしら―小野田寛郎とブラジルに命をかけた三十年―(清流出版)」を出版した。
 「町枝さんはしっかりしていてやり手だよ」と尾西さん。「いいマネージャー兼奥さん」だという。
 小野田夫妻は、毎年一年のうちの三カ月間をブラジルで過ごす。尾西さんは「牧場での馬が一番の楽しみで、ブラジルで体調を整えて、日本でのストレスを解消してるんでしょう」と毎年の帰伯について話した。
 週刊新潮の取材に町枝さんは「来年は一人で向こう(ブラジル)に行ってもらいことになるでしょう」と就任後の多忙ぶりを説明。小野田さんの近況について、「主人は夜型で、朝の二時か三時ごろまで本や雑誌を読んでいます。徹夜することもあるんですよ。三十年ズレていたんで、勉強だと思っているんですって」と話している。
 九日の集いでは、悠仁親王のご誕生を祝うとともに、シンポジウムが開かれる。

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