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「遺族に心から謝りたい」=桧垣容疑者=本紙取材に悔恨の情=裁判ひかえ心境語る=「結果は受け入れる」

2007年2月3日付け

 「もし自分が父親の立場だったら、もっと激しく追求したかもしれないと思う。父親とご家族には心から謝りたい」――。九九年に静岡県浜松市で女子高生死亡ひき逃げ事件を起こし、事件後すぐに帰伯した桧垣ミウトン・ノボル容疑者(31)が一日、ニッケイ新聞の取材に応じ、目を潤ませてそう反省の気持ちを語った。
 桧垣容疑者は一日午前九時半ごろ、自宅を出たところで取材に応じた。サンパウロ市南部の閑静な住宅街、日系人の集住地区の一角だった。
 テレコミュニケーションの仕事に出勤する桧垣容疑者は、「逃亡者」と言われることに関して、「事故は誰にでも起きること。〃フジチーボ(逃亡者)〃と言われるのは心外だ。日本からの警察の要請で、こちらの警察にもちゃんと供述している」と抗弁した。
 「なぜ現場を後にしたのか?」と問うと、「一回止まった。でも、騒ぎが怖かった。もしかして暴力をふるわれるのではと、恐怖にとらわれて夢中で走り出してしまった。日本人からの差別におびえた」と答えた。
 「具体的にはどんな差別か?」とたたみかけると、「日本では日本人と外国人に扱いの違いがあるだろ。人間としての扱いだ」と具体的な例証をさけた。
 日本を去った理由を問うと、「父親が病気だったから帰ることは前から予定していた」と答えた。
 さらに桧垣容疑者は「自分も二児の父親として、ブラジルにいても落ち着いた気持ちにはなれない」との心境を吐露し、「もう一度同じことがあれば、今度は違う対応がとれる。きっとその場に残って助けると思う」と真剣な表情で答えた。
 六日に迫った第一回裁判について尋ねると、「怖い」と一言。「みんなから裁判の後、どうなるんだと聞かれるけど、私も分からない。でも、六日の裁判にはちゃんと出席して、結果を受け入れるつもりだ」との心構えを明らかにした。

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