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マンチケイラに抱かれて――登山のすすめ――連載(中)=縦走新ルートの開拓=山仲間と共にクラブ創設へ

2007年3月29日付け

 「ブラジルに移住してからもいつか夢を果たしたいと思い続けてきました」。前田さんは一九六〇年、二十歳でブラジルへ移住したが、その理由は「ブラジルがペルーに近かったから」。「アンデスでの山岳ガイドと山荘経営」を夢見た前田さんだが、当時のペルー政府は移住を受け入れておらず、しかたなくブラジル移住で手を打ったのだった。
 夜学に通いながら、何年間か農業に従事。ミナス州立の乳製品技術専門学校を卒業し、マンチケイラ山脈の麓にある、レイテパウリスタ(サンパウロ州乳製品製造会社)に入社する。「いつか夢を…」、そんな山への思いが、前田さんを山脈の麓へ導いたのだろうか―。
 前田さんは雪印乳業、森永乳業での技術研修、北海道酪農大学へ技術の指導にも出かけ、十年間、製造課長を務めた。そして、休みの日にはマンチケイラ山脈へ赴く。
 「ブラジルでは登山愛好家が少なくて、装備もなく、テントも自分で作って登ってましたよ」。わざわざ、ドイツから輸入したザックや登山靴もある。「日本から来た駐在員には、ご飯よりも山が好きな人がけっこういてね。よく案内しては歩きました」。登るたびに、登山愛好者との絆が広がった。
 前田さんは七五年にカンピーナスの東山農場に移ったが、その後もマルメロポリスまで片道四時間を通い続ける。目指したのは、新山開きだった。「スポーツとしての登山を、ブラジルに普及したかった」。
 現地の人を雇い、地図を持って山に入る。一度高めのコルにのぼり、登山道にふさわしい道筋を選んでから、枝や草を切り分ける。それを繰り返した。
 歩きつづけた末、山道は拓かれた登山道になる。前田さんは、標高二千八メートルのイタガレ山からマリンス山までの縦走ルートを築いた。総距離四十三キロ、総コースタイム約二十時間。九三年に開通し、現在ではITAMAR(トラベシア・イタガレ・マリンス)という愛称で登山者に親しまれているという。
 マンチケイラ山脈には、マリンジーニョ山(2432メートル)、マリンス山(2421メートル)のほかにも二千三百メートルを越す山が連なり、その周辺を千八百メートル級の山がとりまく。水源も豊かで、それぞれに名前のついた滝が七本、なかには高さ七十メートルにもなる大滝も見られる。
 「この辺りには見どころがたくさんあるんです。山登りだけでなくて、沢登りもできるんですよ。いいところなんです」。
 前田さんは、地元カンピーナス近郊の人達を集めてマンチケイラ山系に通い、八五年、自身が発起人となって、カンピーナス山岳クラブを創立した。一九八〇年代に入り、ようやくブラジルでも登山ブーム。エコツリズモが人気を得るようになり、クラブも会員約百人以上に成長した。
 「そこ(クラブ)で山の良さを知った学生のメンバーが、就職先の各地で山岳クラブを発足させて、ブラジル中にエコツリズモ(登山や沢登りなどアウトドア活動を体験する旅行)を広めてくれている」と、前田さんはうれしそうに話した。(つづく、稲垣英希子記者)

マンチケイラに抱かれて――登山のすすめ――連載(上)=50年代の登山ブーム=前田さん、南米移住を決意
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