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〃乞食老女〃に意外な事実=日系2世廃品回収屋=カタドール=の人生=連載(上)=サンパウロ市南部=荷車引く姉妹に住民困惑

2007年4月19日付け

 「乞食の日本人老女が近所にうろついているから保護してほしい」―。昨年十月ごろ、一読者から本紙編集部にこう電話が入った。記者はその目撃情報を頼りにサンパウロ市南部のジャバクアラ区におもむき、地域住民への聞き込み取材を重ねた。ついに本人にいきつき、インタビューしてみると意外な事実が浮かび上がってきた。その〃乞食〃は日系二世の老姉妹で、生活に困っているのではなく、逆に困っている人を助けているというのだ。ブラジル日本移民百周年を来年に迎えようとする今、日系社会のすそ野の広さを感じさせる興味深い二人の人生を紹介したい。
 「昼過ぎにいつもやってくるよ。頭がおかしいんだろう。日本人で珍しいな」―。姉妹が空き缶を集めに毎日やってくるバールのブラジル人店主は、記者にそう呟いた。小汚い服装の老姉妹が荷車を引いて歩き回る姿を知らない地域住民は少ない。聞き込みを重ねるたびに、二人の存在が地区内で異質に映っていることがわかった。
 姉妹の自宅近くに暮らす日系人男性はこの老姉妹の印象についてこう話す。「姉妹の子どもは実業家さ。生活には困っていないはずなのに、カタドーラをしているんだよ。まったく理解できないね」。
 カタドール―。日本語で強いていえば〃廃品(ごみ)回収屋〃だろう。空き缶やダンボールなどリサイクル可能なものをゴミ捨て場や商店から集め、それを専門の会社で換金して生計を立てる生業だ。仕事で使う荷車は数十キロにもなる重労働で知られる。
 記者は姉妹と接触のある日本人女性から、姉妹の所在を知ることができた。早速二人に取材を申しこんだところ快諾してくれた。
 記者を自宅に招き入れ、コーヒーとクッキーでもてなしてくれた姉妹。その生活ぶりを深い笑い皺を浮かべながら語った。
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 「皆さんに何も事情をお話していませんから」。冒頭、記者が周りの認識を姉妹に伝えるとこう大笑いした。「体のために好きでやっていることだし、この年になってまわりを気にしてもしょうがないです」とスラスラと日本語で説明する。
 二人の名は柳下君江さん(82)と菅原米さん(72)。共に年金受給者で、米さんは八歳ごろに出生登録をしたため、実年齢は「八十歳くらい」と笑う。
 姉妹が日々の日課としてカタドールの仕事をはじめたのは、約七年前。米さんが長年勤めた裁縫会社を定年退職して三年ほどがたったころ、「家でじっとしていると病気になるし、何か人の役に立てたら」と考えたのがきっかけだった。
 姉の君江さんも同じ頃、友人に誘われてある宗教団体の集会に参加した際、会場で出た大量の空き缶を回収しているブラジル人から「リサイクルは結構な収入になる」ことを知った。
 それを機に二人は、老後の楽しみとして廃品回収をはじめることを決意した。近所の若いブラジル人カタドールに仕事のやり方を尋ね、回収に使う荷車を近くのスーパーマーケットからただで譲ってもらった。
 二人が集めるものは「お金に換えられるものならなんでもいい」。ダンボールやちり紙、空の缶詰、空き缶、鍋、古着など多様だ。ごみの回収日に合わせて二人で地区内を手分けして歩き回る生活をはじめた。
 二人が回収をはじめた当時、空き缶を約七十個、一キロ集めると、四・八レアルに換金されたという。多いときは二人で五、六キロの缶を集めたというから、ざっと三十レアル近い現金を一日で稼いだ計算だ。
 二人によれば、建て替え工事などのために取り壊した家は、〃廃品の宝〃が埋もれている。中でも家庭でつかう電線はゴムカバーをはずして金属部分だけにして換金すると、百レアルにもなるという。
 こうして得た現金やまだ使用できるものは「地域の貧しい家庭に寄付している」と姉妹は照れくさそうに言う。毎朝姉妹が通う近くの教会にも〃お賽銭〃をしているという。
 今年からは、毎日のように回収に出ていた以前と違って、「知り合いの日本人から連絡があるぐらいにしか回収に出ない」という。体力の衰えに加えて、同業者が増えたことによって、交換レートがぐっと下がってしまったからだ。
 最近では、ダンボールやちり紙を一キロ集めても、四センターヴォにしかならない。「以前はこの十倍近いお金になったけど、これじゃいくらがんばってもみんなにアジューダ(助けること)はできないですから」。
(続く、池田泰久記者)

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