ホーム | 日系社会ニュース | 田村元下議が健在なうちに=「田村鋼材」再生させたい=30年以上眠っていた=資産あり、いま株主探し=63年、525人で会社創設=みんな〃応援団〃だった

田村元下議が健在なうちに=「田村鋼材」再生させたい=30年以上眠っていた=資産あり、いま株主探し=63年、525人で会社創設=みんな〃応援団〃だった

2007年5月1日付け

 一九七一年から三十年以上眠っていた会社が、ようやく動き出す。社名は「田村鋼材」。四五年、日系初期の政治家、田村幸重氏(93)が一九六三年に設立した鉄鋼会社だ。七一年に事業を停止して以来、三十年以上を経て、昨年八月に株主会が、今年四月二十六日に総会が開催された。現在同社の社長を務める本村巌さんは「会社が存在している。株主の人には権利があります」。だが、約三十万株の所有者の多くがすでに他界しており、事業をすすめるためには現在の株主が誰なのかを確かめなくてはならない。本村さんは「(昨年から)これまでは軌道に乗せるだけだった。会社はこれから始まる」と、関係者への協力を呼びかけている。
 「あのころ、田村鋼材の株で儲けようなんて思っている人はいなかった。株主は、田村さんを応援する、大使にまで持っていこうと思う気持ちでやった(出資した)ことだったんだ」と、本村さんは田村鋼材の成り立ちを説明する。
 一九六三年、五百二十五人の株主に、約三十万株を持ってもらって田村鋼材は創立された。当時は、そこらの個人銀行よりも資産を持っていたという。
 創立当時、同社の幹部だった児玉政則さん(81)は、「多くの支持者がいた。ブラジルの(地場の)日系人の会社では、最も大きな会社の一つだった」と振り返る。
 しかし、株主の多くが農業者、社長の田村氏もブラジリアとの往復で忙しく、業務のほうは遅れがちになった。「資本も支持者もいたけれど、仕事はうまくいかなかった」と本村さん。七一年、新たな会社役員を選出したのち、田村鋼材は事業停止を決定し、〃眠りについた〃。
 時は流れて、二〇〇二年。田村鋼材が所有する約六千万平方メートルの土地(ボンスセッソ)と倉庫が、税金の未納を理由に政府によって接収されかけていることに、本村さんが気付き、解決に向け奔走した。
 「長いことかかりました」と本村さん。「創立当時の株主を探しました。今は、土地と倉庫の貸与料も少しずつとってるし、バランスシート(貸借対照表)も作った。今やっと、動ける状態になった」。
 現在の会社幹部は、社長の本村さんと、会計の下石什伃子(とよこ)さんの二人。下石さんは「貸し料もあるし、経営は維持できる。でもそれだけでは何にもならない」と話す。
 下石さんは「仮に会社を閉めるにしても、何かするにしても五一%(過半数)の株(株主の決議)が必要です。(創立時の)株主の名簿はあるので、皆さんで協力して、多くの株主を見つけましょう」と呼びかけた。
 土地、建物の見積もり総額は、約百万レアル。一、二株の所有者から、五千株の人まで、株主は様々だという。総会には株主や関係者ら、約十六人が集まり、これまでの経緯の説明を受け、現状について多くの質問がなされ、今後、株主を探し出していくことと、九八年ごろまで同社が所有していたブラジル銀行の株(十万株)の行方を調べることが承認された。
 株主に関する情報を持っている人は電話11・4472・0629/9564・6905(もとむら)へ連絡を。

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