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開拓先人への思い忘れず=ア・マッシャード=87回目の招魂祭=5百人が冥福祈る=サンパウロ市からも貸切バスで

2007年7月13日付け

 今年も招魂祭晴れ――。八十七年間、祭礼時には一度も雨が降ったことがないというアルバレス・マッシャードの招魂祭が八日午前九時から、七百八十四人が眠る同日本人墓地で行なわれた。招魂祭は今年で八十七回目、同地は入植開始から九十年を迎える。西林万寿夫在聖総領事夫妻、勝谷ルイス同市市長、汎ソロカバナ日伯連合文化協会の纐纈俊夫会長を始め、ソロカバナ沿線日系団体関係者ら、約五百人が先亡者の冥福を祈った。サンパウロ州政府教育局による日本文化教育プログラム「ヴィヴァ・ジャポン」に参加している州立校の生徒たちも出席、コロニアのみならず、日本移民の足跡を将来に残す地元の意思を強く感じさせる式典となった。
 「三歳だった弟が埋(い)かっとる」
 毎年欠かさず招魂祭に出席しているという青柳真蔵さん(79)は、年子の弟ヨシユキさんが亡くなった日、雨が強く降っていたことを覚えている。
 「あの頃はファルマシアもなかったからね」。そう入植当時を振り返った。
 州の文化財に指定されている同地の日本人墓地は、七百八十四人(うちブラジル人一人)が埋葬されている。星名謙一郎が二千アルケールの旧ブレジョン移住地を売り出したことから同地の開拓の歴史が始まった。
 「日本人墓地」と日本語で書かれた墓地の入り口の門には、一九一八年から四三年四月と書かれているが、入植が開始された一七年に亡くなった移住者の墓もある。
 墓地のなかった初年、近郊のインジアナに埋葬したものを小笠原尚衛の登記により、埋葬が可能になった現在の墓地へ戻したものだという。
 それを除けば、初めての埋葬者となったのは、二歳で亡くなった渡辺浅江ちゃんの墓。他の移住地同様、初期開拓の犠牲者の多くは幼い子供たちであった。
 午前九時から始まった慰霊祭は、小梅川登志雄さんが司会、プ・プルデンテ西本願寺の堅田玄悠主管が導師を務め、子供たちが献花、献灯を行なった。
 日語学校書記の小梅川寿男さん、汎ソロカバナ文協の纐纈会長らが移住地の歴史を振り返り、追悼の辞を述べた。
 西林総領事は、「開拓者が血と汗と涙を流したこの地を訪れることができ、感慨深い」と率直な気持ちを述べ、「幼い子供たちの墓標を目の前にし、親の無念さに思いを馳せた。冥福を祈りたい」と続け、墓地を維持、管理してきた先人に対し、敬意を表した。
 慰霊祭後、旧第一学校前に会場を移し、奉納演芸会が催された。太鼓やカラオケ、人々の歓声が響くなか、同小学校に通った上本慧さん(さとる、74、二世)は、「昔は運動会、天長節と賑やかだったね」と往時を懐かしんだ。
 「生まれ故郷だからね。友達にも会えるし、一年間、ずっと楽しみにしているんですよ」と招魂祭への思いを話した。
 三二年にア・マッシャードに入植したという栗林誠さん(78、二世)は緑で覆われた風景を眺め、「当時は(開墾のため)赤土しかなくてね。綿、カフェ、バタタ、薄荷などを栽培していた」と約一千家族が住んでいたという最盛期の様子を語った。
 ア・マッッシャード出身者やその家族で構成される「友の会」はバス一台を貸し切り、サンパウロから約五十人が参加した。コーディネーター役は高田イザベルさん(61)。義母が埋葬されており、六〇年から毎年欠かさず、訪れている。
 「年々、来たくても体調が悪く来られない人が多くなっているけど、続けられるまで続けていきたい」と笑顔を見せた。
 十年来、招魂祭に毎年多額の寄付を行なっているサンパウロ市在住の高田オズワルドさん(70)は、「若い人が来るような雰囲気作りをしていく必要がある」と伝統を大事にしながらも、時代に合わせた招魂祭が末永く続くことを望んでいる。
 学校前に組まれた櫓を中心に参加者たちは盆踊りを楽しんだ後、「参ることができなかった遺族、迎えることができなかった故人のため」、例年通り、全ての墓にロウソクを灯した。
 このとき、無風状態となることは、雨が降らないことに加え、招魂祭の不思議とされている。
 六十人ほど会場に残った人は薄暮のなか、ロウソクの光で浮かび上がる日本人墓地を見つめ続けていた。

大活躍の婦人部

 正午からの昼食には、婦人部が朝四時から、腕によりをかけて作った自慢の料理が供された。
 牛、鶏各百二十キロ、三十二キロの米を使った寿司に加え、サラダや漬物、シュラスコ、新鮮な果物に参加者らは舌鼓を打った。
 婦人部運営費を賄うのは、招魂祭で販売される餅、カリントウ、饅頭など。一週間かけて作った移住地の味を土産にと持って帰る人も多くいた。「一年に一度の大仕事」と婦人部のメンバーたちは笑顔を見せていた。

地元学生も参加=記録映画の製作も=ヴィヴァ・ジャポン

 今年の招魂祭には、ア・マッシャードの州立校「アンジェリカ・デ・オリベイラ」の生徒二十三人も出席した。サンパウロ州立校で実施されている日本文化教育プログラム「ヴィヴァ・ジャポン」の一環。
 同校教諭でプロジェクトのコーディネーター、オズマール・フルヤさん、エウニセ・セスチ教頭によれば、参加しているのは二クラスの七十二人。
 日本移民がブラジルに来た経緯や日本人墓地の歴史、老移民に生徒たちが取材、二十分ほどのドキュメンタリーを作る予定だという。
 ジェイセ・ナヴァーロさん(14)は、「日系社会からは色々なことを学んでいると思う」と地元での影響を話した。

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