ホーム | 日系社会ニュース | 夢のように過ぎた半世紀=志胸に海を渡った3百人=沖縄青年隊50周年祝う=日本からも慶祝団迎え

夢のように過ぎた半世紀=志胸に海を渡った3百人=沖縄青年隊50周年祝う=日本からも慶祝団迎え

ニッケイ新聞 2007年10月3日付け

 一九五七年から六四年まで十四次の沖縄産業開発青年隊員、三百三名がブラジルの地に降り立った。今年初渡伯から五十周年を迎え、九月三十日、かつての青年隊OBたちで組織する在伯沖縄青年協会(宮平守雄会長)が青年隊着伯五十周年記念式典をジアデーマ市のブラジル沖縄文化センターで盛大に開催した。OB、関係者ら千二百人以上が出席、半世紀の歩みを振り返った。母県からは青年隊関係者五人、ボリビアからも一人が来伯、国内でもブラジリア、カンポ・グランデなど遠方から節目の式典に参集した。
 午後二時ごろから開かれた式典では宮平会長はじめ山城勇実行委員長、与儀昭雄沖縄県人会長、与那嶺真次同センター理事長、第二次女子青年隊の与儀米子さん、青年隊子弟代表として山城達夫さんらがステージに上がり、母県からは安谷屋幸勇青年協会副理事長が列席した。
 挨拶に立った宮平会長は「今日は五十年の歩みを省みる日にしたい」と挨拶。山城実行委員長は「当初、予想していた以上に、たくさんの人が来てくれて感謝しています」と祝辞を述べた。沖縄県人会の与儀会長は「皆さんの力がなければ、この文化センターは無かったでしょう」と称えた。
 式典に出席する予定だった伊集盛元青年協会理事長が諸事情により欠席したため、安谷屋副理事長が祝辞を代読した。
 当日の午前中には植樹式が行われ、十四次までの青年隊代表が同センター運動場隅に十四本の沖縄桜を植えた。
 その後、青年隊先亡者慰霊法要を行い、亡くなった同胞達を偲んだ。
 約三時間の昼食休憩が取られ、同センター資料館前で牛一頭が丸焼きにされ、来場者に提供されていた。長蛇の列ができ、資料館前から会場サロンまで全長十五メートルにも達した。
 会場では青年隊の歴史を振り返るスライド「青年隊物語」を上映。バレーボール大会や沖縄相撲(角力)大会、サッカー大会、家族慰安運動会など同隊の主催で行われていた行事を当時の時代背景を写しながら紹介した映像に、集まった来場者たちは懐かしそうに目を細めながら見入っていた。
 青年協会出身者の中には県人会や文化センターなど両組織の理事として活躍した山城勇氏、山城貞雄氏、仲川実留氏などがおり、その他にも各支部の支部長に就任した人もいる。
 実行委員長をつとめた山城勇さんには式典席上、宮平会長から特別功労賞が贈られた。山城さんはその人徳、人柄などが支持され「青年隊の指導者として尊敬に値する」と青年協会内部からも背中を押されている。歴代会長を代表して渡嘉敷唯康さん(第十九代)にも感謝状が贈られた。
 記念アトラクションでは、古典民謡による開幕合同演奏「東里節」「ごえん節」など三曲を披露したほか、青年隊夫人たちによる古典舞踊、ギリシャ、ドイツ、ウクライナ、ロシアなど四カ国の国際民族舞踊をそれぞれ披露した。
 その後も琉球舞踊、民謡、エイサー、獅子舞などが披露された。
 最後は参加者入り乱れてのカチャーシーを踊り、フィナーレを飾った。
 ボリビアから駆けつけた島袋金丈青年隊OBは式典後、「五十周年は通過点であって、これから百年、二百年も続いていく」と感想を語った。
 その他のOBたちも半世紀の歩みを振り返り、「がむしゃらに働いていたら、あっという間だった」、「夢みたいに過ぎていった」などと感想を話していた。

image_print