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日語校、コチアと歩んで75年=ヴァルゼン・グランデ=聖南西最古の日系団体=2百人集い節目を祝う

ニッケイ新聞 2007年11月28日付け

 ヴァルゼン・グランデ文化体育協会(田村忠男会長)の創立七十五周年式典が二十五日、ヴァルゼン・グランデ・パウリスタ市の同会館で開かれた。子弟教育への情熱の下、聖南西地区で最も早く発足した同文協。旧コチア産業組合中央会とも深い関わりを持ちながら、同会解散後の困難を乗り越え、今日まで絶えることなく歴史を刻んできた。式典当日は約二百人が集い、さらなる発展へ誓いを新たにした。
 当日はロッケ・デ・モラエス市長のほか、上原幸啓ブラジル日本文化福祉協会会長、森エリオ聖南西文化体育連合(UCES)会長などが来賓として出席した。
 式典に先立ち午前十時から仏式の先亡者追悼法要。イビウナ日伯寺の桜井聡祐僧侶が導師を務め、代表者が焼香した。
 田村会長は七十五年の歴史の中で、教師や弁護士、技師など社会の各分野で活躍する人材が生まれたと話し、戦争中も中断することなく子弟教育に情熱を注いだ先人の功績を称えた。
 森会長は、同文協が聖南西連合で最も古い団体であることや、同地が地域の農協活動のさきがけとなったことに触れ、長年の活動を支えてきた団結心と組合精神、調和の精神に敬意を表した。
 市長、上原会長らの挨拶に続き、会場では、文協功労者として樋口直人さん(85)、橋詰真八郎さん(73)、古川信夫さん(72)ほか、歴代会長へ功労賞を授与。式典終了後は会館の敷地で記念のプラッカを除幕したほか、イッペーと桜の苗が植樹された。
 その後は会場に戻って奥山修治元会長の発声でシャンペンの乾杯、会員が持ち寄った昼食を囲んで歓談した。
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 同地への日本人入植は会創立に先立つ一九二九年、五人の草分けがカエテ地区(現サンロッケ)に入ったことにさかのぼる。
 文協の前身であるヴァルゼン・グランデ日本人会はコチア、イタペヴィ、サンロッケ、イビウナなど近隣地域の入植者五十人により設立された。会創立の柱の一つ、子弟教育への熱意は、三四年の日本語学校開校として結実。一昨年には創立七十周年を祝った。
 また、コチアと隣接する同市には三五年、はじめての地域倉庫が設置された。当時の会員は全てコチア産組の組合員。戦後もコチア青年の入植があるなど、まさにコチア産組と共に歩んできたといえる。
 最盛期は約三百家族の会員があったが、九〇年代からのデカセギによる人口流出、九四年のコチア解散後の困難を乗り越え、現在は百五十家族ほどの会員で活動している。二百人を数えた日語校の生徒は、現在四十人ほど。
 文協副会長の海老名松雄さん(61)は、同日語校初代教師で戦後は聖南西連合の会長を務めた海老名行三氏の息子。コチア産組で働いていた行三氏は、「来る人たちに子供たちの教育や、スポーツ、日本語の大切さを説いていた」という。活発な文協活動に加え、子弟教育への熱意と人材の育成。ヴァルゼン・グランデが「文化村」とも呼ばれた所以だ。
 「コチアもなくなり、デカセギの影響もあるけど、日本語やスポーツ、運動会も毎年続けて頑張っています」と海老名さん。「これから十年、十五年後、子や孫の時代になった時のためにも、いま会の先頭に立っている私たちの責任は重いと思います」と表情を引き締める。
 和やかな雰囲気に包まれた祝典会場。リオ生まれの田村会長(62)は、「会員や日語校生徒をどう増やしていくかが課題ですが、七十五周年で終わることなく、続けていくことが一番の希望。終わってしまったら、今までやってきた意味がないと思う」と話していた。
 午後からのアトラクションでは、同文協の子供たち約二十人で作る太鼓グループ「鼓魂(こだま)会」の演奏のほか、タウバテの海藤三味太鼓が出演して舞台を披露。最後の盆踊りでは、会場に出席者の輪ができた。

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