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国士舘経営は誰の手に?=文協評議員会=検討委設立、決議は来年に=強硬な進行に不満の声も=情熱失う地元関係者ら

ニッケイ新聞 2007年12月11日付け

 「今日決議されなければもうやらない」「前向きに検討、委員会の設立を」――。サンロッケ市にある文協国士舘スポーツセンターの経営権をコチア青年連絡協議会や地元文協で構成される管理運営準備委員会(白旗信委員長)に委譲する問題について、八日午前の文協評議員会で議論が白熱した。あくまで当日の決議を求める準備委員会、提案事項の見直しを理由に検討委設立・決議の先送りを推し進める渡部和夫評議員長。両者の意見は平行線を辿ったが、最終的に渡部評議員長に押し切られる形で、来年二月二十三日に開かれる臨時評議員会で議決されることなった。傍聴した準備委員らは不満な表情を見せながら、今週中に会合を開き、今後の対策を練るとしている。評議員会の出席者数は、七十五人(うち三十二が委任状)。
 国士舘スポーツセンターは、一九九七年に国士舘大学から文協に譲渡され、六十ヘクタールを有する。
 テニスコート、マレットゴルフ場、会合用サロン、「武道館」などがあり、自然に囲まれた風光明媚な環境にあるが、年に一度行なわれる「さくら祭り」のほか有効利用されておらず、毎年六万レアルの赤字が出ており、文協の〃お荷物〃と揶揄されてきた。
 こうした状況を受け、イビウーナ、ヴァルジェン・グランデ、カウカイアなどの地元文協、コチア青年連絡協議会(山下治会長)、国士舘マレットゴルフ部(白旗信部長)らを中心に今年二月から話し合いを続け、八月に準備委員会を設立。「文協が国士舘を手放したら、コロニアの恥」と文協に対し、経営委譲を打診してきた。
 九月二十九日に開かれた臨時評議員会で栢野定雄同センター運営委員長らが委譲への決議を迫ったが、渡部評議員長は条件などが書面で提出されていないことを理由に拒否。決議は今回に持ち越された。
 評議員会の前日七日、準備委員会と会合を持った渡部評議員長は、提案書の内容に関し、「管理委譲の期間が二十年」「文協の施設利用が年三回まで」「四年目から施設収入の〇・五%を文協に納入」「将来的に完全委譲も視野」などの点について、見直しの必要性を指摘。提案書の配布はしないよう求め、途中退席した。
 しかし当日、準備委員らは、評議員らに対し、主旨の理解を求めるため、提案書を公開しようとしたが、これを渡部評議員長は認めず、口頭で問題点のみを説明する形となった。
 山下評議員(十五人の準備委員で唯一の評議員)は、「これ以上先延ばしされたら、熱意が冷める」と委譲の決議を強く訴えた。
 これに対し、渡部評議員長は、「結論を急がずに待ってほしい」とあくまで慎重論を貫き、山内淳、小山昭朗、原田清、大原毅の四評議員、山下譲二、栢野定雄、木多喜八郎の三理事で検討委員会を立ち上げ、準備委員らと調整する方向で理解を求めた。
 林アンドレ評議員は、「提案以外の事項の追加」「委譲先責任者の法的特定」「当初目的の貫徹」「次回評議員会での否決の権利」などを提案。
 栢野同センター運営委員長は、「これだけ反対が多いならば、再度検討の余地はある」との考えを示し、文協を割るつもりはないことを強調した。
 渡部評議員長は、来年二月二十三日に臨時評議員会を開催、同月五日までに提案書の再提出を求め、閉会を宣言した。
 山下評議員は、渡部氏の議事進行に関し、「評議員らの意見を汲まない横暴で強硬なやり方」と批判しながらも、「一歩前進」と楽観的な見方も示した。

■記者の眼■諦めず、すり合わせを

 「裁判を傍聴している気分」――。イタペチニンガの尾崎守評議員は、渡部和夫評議員長の議事進行の手法をこう表現し、強く批判した。
 準備委員のなかで唯一の評議員のため、代表して発言した山下治コチア連絡協議会会長を壇上に座った渡部評議員が見下ろす格好となっており、なかなかに上手い表現だった。
 前回の評議員会の出席者は、八十五評議員(うち委任状二十五)、今回は七十五評議員(うち三十二)。 以前と比べれば、かなりの出席率といっていいし、無論、多くの評議員が国士舘センターの行方に関心を持っていることは言うまでもない。
 約四時間にわたった評議員会のほとんどが国士舘センターの経営委譲の議題に費やされたが、多くの評議員が、〃傍聴人〃のようだったのは確かだ。
 「提案の内容を評議員に知らせず、自分の発言だけで議事を進行するなんて、評議員会じゃない」。準備委員会が用意した提案書の配布を禁じた渡部評議員長に対する非難もあった。
 必死に委員らの情熱を訴える山下評議員に拍手を送った委員らに対し、渡部評議員は手で制し、「評議員以外の発言や拍手を送ることは許されていない」と強い調子で宣告した。
 確かに独断的なやり方といえなくもない。しかし、渡部評議員は、経営委譲自体には、肯定的な見方をしており、説得力のある問題点を具体的に指摘した。準備委員らのメンバーの平均年齢が七十歳と考えれば、二十年の委譲期間にいささか不安が残るのも確かだ。
 「やる気」という精神論を説く一世と「どうやって」という現実的な二世との議論が平行線を辿るのは、当然だろう。収入源としている毎月五十レアルを払う会員二百人もまだ集まっていないという。
 九月二十九日の評議員会で「書類の不備」を理由に先延ばしされ、約二カ月経った今回も「内容の見直し」のため、三カ月後に再討議――。
 準備委員らが業を煮やすのも分かる。だが、何故今回の評議員会で決議したかったのなら、もっと早い段階で渡部評議員長と調整を行なわなかったのか。
 委員の一部は、「(渡部評議員長が)訪日していたから」というが、期間は十月二十八日から翌月十九日までの三週間だ。時間はあったろう。
 根回しをするなら、万全を期すべきだ。評議員会の前日では、調整することも不可能だ。体裁だけ整え、提案を情で通そうとするのは、〃敵〃を知らなさ過ぎだろう。
 来年二月二十三日の臨時評議員会、同月五日までに提案書の再提出――。「もうやらない」との声もあるようだが、このくらいの交渉は、ブラジルで数十年やり抜いてきた根性で乗り切ってほしい。
 あくまで評議員長は評議員長であって、敵でも判事でも裁判官でもないのだから。      (剛)

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