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さくら公園を改装=プ・プルデンテ=日本庭園に再生

ニッケイ新聞 2008年2月26日付け

 【プ・プルデンテ】プレジデンテ・プルデンテ文協は、このほど日本移民百周年を記念して、市内のさくら公園を改装、新しい日本庭園に再生させた。
 さくら公園は、移民七十周年祭の折り、市役所から提供された土地につくられたものだった。当初、桜や梅を植えたが、桜は育たず、一時は梅の実の梅干が公園管理をしていた明治会の財源にもなっていた。しかし、市役所の撒水や除草などが行き届かず、また明治会会員も漸減して、手入れ不足になり、梅も実をつけなくなった。
 今回の大改装は、市役所が全面的に支援してくれた。全伯的に著名な当市在住の造園家、水川昇さんが設計に当たり、少し斜面になっている公園の地形をうまく利用して、高台に五重塔を配し、下方は手を加えて傾斜を利用、枯山水の日本庭園ができた。
 正面入口に、奥に五重塔がのぞまれる石の鳥居が建てられているが、これも水川さんの設計で、市役所がつくったもの。高さ三メートル八十センチ、幅三メートルの堂々とした建物だ。
 また、鳥居といえば、一九九五年のフェスタ・デ・ナッソンエスの折り、当市で手広く自動車板金(ラタリア)工場を営む斎藤さんが自費で作った組み立て式の赤鳥居がほかにある。高さ三メートル七十センチ、幅二メートル四十センチである。斎藤さんは、多忙にもかかわらず、日本文化関係の催しがあると、その赤鳥居を無償で貸し出してくれる頼もしい二世だ。
 今年はまた、移民百周年を記念して、文協が主体となり、当地日系団体を糾合、第一回ニッケイ・フェスタを五月二日から三日間、市設催しもの会場で開催することになった。内容は展示、ショー、アルテザナット、武道公開、日本食販売などである。これは、例年六月に行われてきた商業ベースの、テレビ主導のスシ・フェスタではない。
 移民七十五周年のとき、開設された図書館は、現在蔵書一万冊、八十人の利用者で賑わっている。今回の百周年を機に移民資料室がつくられることになり、すでにおよそ百五十点余りの資料も集まり、仮展示をしている。六月までには本格的に整理して公開したといっている。(野村いさをさん通信)

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