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「僕たちも移民です」――保見が丘のパウロ・フレイレ地域学校で――=百周年を記念して文集発行(下)=「これから先はどこへ?」=デカセギ子弟の複雑な心情

ニッケイ新聞 2008年5月17日付け

 【愛知県豊田市発】百周年を記念してパウロ・フレイレ地域学校(エコパフ、ジョゼリア・ロンガット・フィジオ校長)で出された文集には、まだ帰国するかどうか定まっていない、物心ついてから来日した、という子どもの複雑な感情も表れている。
 「日本は嫌いです。ブラジルにすんでひとりきょうだいがほしいです」(アオキ・ダ・シルバ・イヴァナ・ベアトリス)。
 「日本にすむのはいやです。ビルはくらいです」(ジェルミニアニ・ロザ・ルアン)。
 カンチーニョに通うシンザト・ライッサ・アヤさんは「ブラジルにすむのかわかりません。にほんにすまないのかさみしいです」と気持ちを表した。
 デカセギのため親が先に来日し、その間離れ離れになっていた例も少なくない。
 初等三年生のド・カルモ・ツイキ・タイス・チエミさんは『わたしたちの苦しみ』と題した作文の中で「わたしの父は日本のやすみだけに戻ってきたからわたし父をよく知らなかったです。わたしは六年半、父がいなくてさびしくてたまらなかった」と訴えている。
 五年生の平田ジェシカさんは『わたしのお父さん』という作文で父への尊敬の気持ちを表した。
 「いつもはたらいて、かぞくがはなれて、お父さんはわたしたちをつれていくときめました。わたしのお父さんはすごいです。いつもはたらいて、かぞくとあたらしい生活をひらくため」。
 彼らの作文からはデカセギについて、先祖の国へ戻ってきたと考えるより、自分たちはブラジルから日本へ来た移民、と捉えている子が多いことに気づく。
 上級生になると、民族や世代の融合など包括的な視点で移民を表現するようになってくる。
 「日本人とブラジル人はほとんど違いはない。格好と信条が違っても。日本人はすしを食べ、ブラジル人は子どもにインディオ『トゥピ・グアラニ』の話をしている」(荒川バレット・エジトン)。
 「日本人、ブラジルにいる。ブラジル人、日本にいる。それをけす人はいない。その大きい集まり」(ミツ・ダ・シルバ・ロドリゴ・エンリケ)。
 今春でエコパフの初等教育を終了した源川ラファエル実くんは詩の中で「移民は歴史の話だけど、僕たちも移民、そして彼らも移民です。昔はブラジルで移民があったけれど今は日本で起きています。これから先は? どこで起きますか」と未来へ向けて疑問を投げかける。
 新しい世代として日本とブラジルの間で生まれ、与えられた環境の中で普段は「なにじんか」を意識しないデカセギ子弟たち。しかし自分たちも移民、移民の歴史は今もこれからも続いていくということを潜在的に理解していることを見せ付けられた。
 文集は四月末に同じテーマで行われた学習発表会で保護者らに配布され、子どもたち全員が並んで文集にサインをしていた。(終わり、秋山郁美通信員)



「僕たちも移民です」――保見が丘のパウロ・フレイレ地域学校で――=百周年を記念して文集発行(上)=デカセギ子弟の揺れる想い=「移民」「笠戸丸」は確実に浸透

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