ホーム | 日系社会ニュース | 『目でみるブラジル日本移民の百年』=ブラジル側刊行に寄せて=森幸一(百年史編纂・刊行委員会)=「お祭り」的でない事業「百年史」=今後5年間で複数巻発行

『目でみるブラジル日本移民の百年』=ブラジル側刊行に寄せて=森幸一(百年史編纂・刊行委員会)=「お祭り」的でない事業「百年史」=今後5年間で複数巻発行

ニッケイ新聞 2008年7月1日付け

 一九〇八年六月、第一回日本人契約移民七百八十一名がブラジルに渡航してから百年、今年は日本移民百周年・日伯交流年として、ブラジル・日本両国で様々な式典や記念事業が実施されている。多くの記念事業の一つとして、ブラジル日本移民百周年記念協会主催事業として実施されているのが「移民百年史」編纂・刊行事業である。
 この編纂・刊行事業はブラジル移民史料館との緊密な協力・連携関係に基づきながら、今後五年間を費やして、複数巻の百年史をブラジル・日本双方で、日本語・ポルトガル語両語によって編纂・刊行していくというもので、日本に続き、今回ブラジルでも刊行された『目でみるブラジル日本移民の百年』はその端緒という位置づけをもっている。
 「移民百年史」編纂・刊行事業はともすれば「お祭り」的な記念イベントが多いなかで、ブラジルに移民した日本人たちがブラジルという国家、日本とは全く異質な「環境」のなかで、いかなる経験や体験をしてきたのかを記録し、それを通じてブラジルへの日本人移民とは何であったのかを、日本及びブラジルの近代化過程との関連の中で検証・総括し、グローバル化の進行する世界における、今後の日系社会の方向性に対する、何らかの指針(を考えるための資料)を提示することを目的に実施されているものである。
 今回の「百年史」編纂・刊行事業はこれまでの「移民」周年史とは違った視点をもって実施されている。今回の独自の視点のうち、主なものを列記すれば以下の三点に整理することができるだろう。
 まず第一に、「総論」だけではなく、両国の移民政策を含む「移民」関連資料の渉猟と収集を通じて、様々な分野・ジャンル、そして地域・地方史への注視といった側面から、ブラジルに渡った我々日本人とは何だったのか、我々はどのようにブラジルへ貢献してきたのか、日本との関係のなかで、どのような役割を果たしてきたのかなど一世紀の経験を総括し、今後の日系「社会」、日系人のあり方を模索する契機としたいという意図をもつものである。
 第二に、日本の近代史のなかで必ずしも注視されてこなかった、日本人移民の経験や体験を日本の日本人たちにも提示し、同じ日本人として外国(ブラジル)において、日本とは異なる近代化過程を経験した日本人の姿を提示することで、日本の日本人たちに対して日本という国家、日本人という国民とは何なのかを再考する機会を与えたいという意図をもつものである。
 そして、労働力のグローバル化現象の一端として出現した「出稼ぎ」現象によって日本に居住している三十万人以上の(日系)ブラジル人たちを巡る問題や日本社会における多民族・多文化共生の問題などの解決の端緒を与えられればという期待もこめられているのである。
 第三に、この事業は上記のような観点から日本やブラジルの学界や関連機関、地域・地方の日系団体(文化協会)などと緊密な関係性を通じて実施されることになるが、これを通じて、ブラジルと日本、ブラジル国内の日系「社会」相互の交流を促し、究極的にはブラジルの日系「社会」を活性化させる契機にしたいという意図をもって実施されていることである。
 日本の風響社から、今年四月に日本語とポルトガル語両語で刊行された「目でみるブラジル日本移民の百年」は上記の意図から編まれた、いわば「導入編」と位置づけられるものである。
 このたび、関係各位のご尽力によって、同書がブラジルにおいても刊行、販売されることになった。同書は百年史編纂事業の「開始」を告げるものであり、我々のささやかな日本人移民一世へのオメナージュであるとともに、二世や三世などに大いに手にとってもらい、父母や祖父母のブラジルでの経験や体験の一端を知ることによって、自らの「歴史」を再認識し、自らの日系人としてのアイデンティティを惹起する契機としてほしいとも考えている。
 さらには(非日系)ブラジル人に対しては「東洋」からやってきた移民がブラジルという国民国家のなかで、どのように生きてきたのかを通じて自らの国家や近代化過程を再考する契機となればと考えてもいる。
 この「目でみるブラジル日本移民の百年」は百年史の「別巻」として刊行されたものであり、本格的な百年史の編纂・刊行はこれから実施されていくことになる。
 私たちは華やかなイベントや記念行事などの傍らで、地道な作業を通じて、真摯に「我々=ブラジルの日本人・日系人とは日本とブラジルの近代のなかでどのような存在であったのか(あるのか)」という問題を問い続けていきたい。こうした活動もまた百周年を祝う、一つのかたちであると私たちは考えている。

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