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あしあとプロジェクト=移民史料館にデータ寄贈=文協貴賓室で寄贈式=タッチパネル式検索機も=感無量のボランティア

ニッケイ新聞 2008年8月23日付け

 日本移民百周年記念協会の「あしあと委員会」(山下リジア委員長)が約三年をかけ、ローマ字・デジタル化した戦前・戦後の二十三万人分の移民名簿データとタッチパネル式の検索機三台がブラジル日本移民史料館に寄贈された。二十一日午後、文協ビル貴賓室で行われた贈呈式には、同検索機を含め、同プロジェクトに二十八万レアルの支援を行ったレアル銀行、州立移民博物館、日本語をローマ字化する作業を行ったボランティア、文協関係者ら約百人が出席した。栗原猛・同史料館運営委員長は、「現在進めているアーカイブ化と連動させたい」と活用を約束、ボランティアに感謝するとともに、更なる協力を呼びかけていた。
 「あしあと委員会」は日本語で書かれた移民名簿を後世に残そうと〇五年八月に発足、一世、準二世に呼びかけ、ローマ字化を進めてきた。
 そのデータ化に二十八万レアルを支援したレアル銀行の中村ミルトン氏は贈呈式で、パウリスタ大通りの同行本店で五月から開催した移民展『私たちひとりひとりの日本』に設置したタッチパネル式の移民名簿検索機が来場者の関心を呼んだことを報告、「私たち日系人が何故ブラジルにいるのかを知る資料となる」と喜んだ。
 移民名簿検索機は、文協ビル三階部分に二台、九階部分に一台、州立移民博物館に一台寄贈される。
 「昔の人の書き崩した字で大変だったけど、一枚一枚が歴史でした」と話す神谷光代さん(68、二世)は、〇五年十一月からボランティアとしてローマ字化に取り組んできた。船の中で亡くなった子供やサントス着後すぐに家長が亡くなった家族の歴史に作業中、涙を流したことも一度ではないと話す。
 生後十カ月で移民船に乗った安田泰弘さん(83、石川県)は、「多少日本語が分かるので、何か百周年に手伝えることはないか」と思い、ボランティアに参加した。
 「三、四世の人たちが自分のルーツを分かるために使ってくれたら嬉しい」と笑顔を見せていた。

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