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半世紀ぶり感動の再会=墓参りにいとこ来伯=対面で「ついつい涙が」

ニッケイ新聞 2008年8月27日付け

 移住により日伯に分かれたいとこ同士が、五十三年ぶりに再会を果たした。一九五六年に親に連れられてパラナ州ウムアラーマの日光植民地に移住した千葉康夫さん(63、長野県出身)=サンパウロ州レンソイス・パウリスタ在住=は、墓参りに来伯した榎本文子さん(61、長野県)=東京都あきる野市在住=と半世紀ぶりに顔を合わせた。
 千葉さんは「再会したとき、ついつい涙が出そうになって、ぐっとこらえた。わざわざ来てもらって本当に感謝している」と笑顔を浮かべる。
 日光植民地では「すごいジャングル切り開いてカフェを植えた」という。千葉さんは二十年後、レンソイスに移って近江絹糸に勤務し、二年前に定年退職。今は同社内でランショネッテを経営している。
 移住前の夏休み、千葉さんは親に連れられて文子さんの家に遊びに行って、庭に生えていたリンゴの樹から実を採って食べたことを、昨日のことのように覚えている。
 文子さんは「顔をみてすぐにわかった」という。千葉家が移住すると聞いたとき、文子さんの母親は「ものすごくびっくりして強く反対した」という。妹である千葉さんの母親は、それを安心させるように五回も帰郷し、〇四年に九十二歳で亡くなった。
 さらに千葉さんの父、兄も亡くなったことから、文子さんは忙しい仕事の合間を抜ってようやく長期休暇を工面し、夫の茂さん(59、あきる野市出身)と共に墓のある北パラナのロンドリーナなどを訪ねた。
 二十二日に日本への帰路に着く、ブラジル滞在十日程度の強行日程で、千葉さんの住むレンソイス、ロンドリーナ、クリチーバ、イグアスの滝、サンパウロ市を回った。文子さんは「見渡す限りのさとうきび畑に驚いた。飽きるほど写真を撮った」と振り返る。「あと一カ月ぐらい居たいぐらい」。
 茂さんは地元で小学校校長をしていることから、レンソイスの市長を訪ねて公立校を視察、「教育意欲が強い」と感じたという。さらに「世界数カ国回ったが、ブラジルほど日本人を大事にしてくれる国はないと思った」としみじみ。
 運転手役を父の千葉さんと務めた長女の幸恵カーチャさん(32)=ロンドリーナ在住=は「遠いところ来てもらってとても嬉しい。またきてほしい」と誘った。

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