稗田節雄氏

ニッケイ新聞 2008年11月28日付け

 ブラジル日本商工会議所の経済情報編集長を長く務めた稗田節雄(ひえだ・せつお)氏が二十七日午前六時ごろ、呼吸不全のためサンパウロ市のノッサ・セニョーラ・ダ・ファッチマ病院で亡くなった。享年六十九歳。食道ガンのため一カ月ほど前から同病院に入退院を繰り返していた。
 一九三九年八月、パラナ州アサイ市パルミッタル地区生まれ。両親は熊本県出身。
 サンパウロ市で高校を卒業後、ロンドリーナのラジオ局「ラジオ・ジフゾーラ・パラナ」の翻訳記者、パラナ新聞勤務などを経て、七〇年代から旧日伯毎日新聞で経済欄を創始、担当した。伊藤忠などにも勤め、八七年から〇四年まで商工会議所の機関誌「ブラジル経済情報」編集長を務めた。
 商議所を定年退職後、〇五年からブラジル・南米の政治経済に関する情報サイト「南報」を運営。またサンパウロ新聞にブラジル関連記事を提供するなど、翻訳畑を中心に健筆をふるった。
 告別式は二十七日午後、ポルトゲーザ病院で営まれ、同日夕方、ビラ・アルピーナ墓地で荼毘に付された。初七日の日時は未定。

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