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ぴんころはみんなの願い日本の高齢者は今=連載《4》=健康にボケるために

ニッケイ新聞 2009年3月4日付け

 「認知症は病気です。家族が病気ということを理解することが大切。進行すると社会生活をすることができなくなります。そこが一番問題です。早期発見、早期治療」
 東北大学医学部の高次機能障害学、目黒謙一教授の講義での言葉です。目黒先生は最先端を行く認知症研究者で、地域で認知症を支えるモデルケース、田尻プロジェクトの推進者であり、田尻スキップセンターの元所長です。
 私たちは東北大学で認知症判定、評価についての講義を受けましたが、研修員の半分はブラジル生まれなので、日本語からポルトガル語へ、専門用語に苦心惨たん。ましてや日本生まれの研修員でも医学的に専門な講義内容に四苦八苦。
 今回の研修員にとって、認知症は大きなテーマでした。ブラジル日系の各施設では、認知症利用者の対応が難しいからでした。その中でも、問題行動への対処。
 ここで、認知症の意味がわからないという方も多いので解説しますと、以前は痴呆という言葉でしたが、差別的な意味を持つことから、二〇〇四年に厚生労働省の通達で認知症という表現に変わりました。
 では、ボケとの違いは何でしょう。ボケとは一般的な言葉で、医学や福祉分野、それに法律などで使われる専門用語ではありません。
 普通にボケたと使いますが、それが年齢による脳の衰えなのか、認知症、すなわち脳の病気なのか、それだけではわかりません。高齢になったからといって全員が痴呆になる訳ではありません。昨年来伯した百二歳の昇地三郎先生※や、九十七歳の日野原重明先生は頭脳明晰ですね。
 年をとって、ちょっと忘れたというのは誰にでもあるものです。健常な人の場合には、記憶の連続性があるということです。つまり昨日今日のことは、何時ごろ出かけて、誰に会って、夕飯の食事は何だったか、時間にそって大体覚えています。
 認知症が問題となるのは記憶障害です。ある一部分の記憶が欠落し、そのことに本人が気付かないのです。例えば、昨日誰とどこであったということが記憶からそっくり抜けている。また、ガスに火をつけてお湯を沸かしていたとします。しばらくして、火をつけたこと自体を忘れてしまいます。大変危険ですね。社会で生活することが難しくなるのです。
 認知症はアルツハイマー型だけでなく、脳血管性障害、レビー小体病など様々な原因があることも知っておいて下さい。認知症がアルツハイマーそのものだという誤解もありますので。
 最初に述べた認知症の問題行動はブラジル日系の各高齢者施設でも大きな問題です。物を取られたと訴える、徘徊する、昼夜がわからなくなる、食事を食べたかどうかわからなくなる、暴力などの症状が出てきます。
 今回の講義では実例を示しながらCDR(臨床的認知症尺度)の説明を受けました。まずは、その人の認知症がどの程度なのか、正しく知る必要があります。認知症疑いの人は、そのままでは認知症が進む恐れがある。完全に発症を予防する方法や治療する方法は現在ないが、症状を改善したり、進行を遅らせることはできる。薬での治療を始め、家族の理解とデイサービスやホームなどでの活動は重要。症状が改善されれば、社会生活が再びできる人もいる、というものでした。そのためには、早期発見、早期治療、家族と地域と医療、福祉の連携。
 日本の六十五歳以上の認知症有病率は八%弱、そして一九九〇年代後半に先生が行ったブラジルでの調査結果について、日本とブラジルでの認知症発症率に差がないことを言われました。今後ブラジル日系社会でも認知症対策が避けては通れない重要課題であると、改めて認識させられました。(つづく、川守田一省・援協広報渉外室長)

写真=長野県佐久市の新型特養ホーム「シルバーランドきしの」の個室。思い出のある品物も持ち込める




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