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サンパウロ市の発展見つめ半世紀=老舗土産店「イケバナ」=創業47年、来年閉店=加賀山さん=「寂しいが、よく働いた」

ニッケイ新聞 2009年4月3日付け

 サンパウロ市アウグスタ街に半世紀近く店を構え、旅行者や駐在員などに親しまれ続けてきた土産物店「イケバナ(IKEBANA)」が、四十七年の歴史に幕を下ろそうとしている。店主の加賀山道(おさむ、75、台湾生まれ、熊本出身)は肝臓を患い、「今まで働くだけ働いたからゆっくりしようと思う。来年初めあたりに店を閉めるつもり」と語る。何万点もある商品処分のため、七、八月頃に大謝恩セールを行う予定だ。
 一九六三年に、当時「しゃれていた街で憧れていた」というアウグスタ街に開店。すぐ横を通るオスカル・フレイレ街は住宅があるのみで名も無く、「路面電車が走っていた」時代から同地を見守りつづけてきたが、三年前に腎臓を患ったため店をたたむ決心をした。
 開店当時はほとんど日本人客を相手にしていたが、現在は外国の駐在員らがほぼ九割を占めるという。「中近東の人は言い値では絶対買わないし、中国人もそういう気がある。国民性がわかって楽しかった」と微笑む。
 台湾で生まれ、十三歳のときに引揚げた熊本で大学を卒業。しかし、「日本の空気に馴染めなかった。戦後の大変な時期で貧しくて、逃げ出そうと思ったんだよ」。
 たまたま熊本に来ていた元文協会長で初代県連会長の中尾熊喜氏に、十三歳まで過ごした「台湾と同じような気候」と聞き渡伯を考え始めた。甘い気持ちで来るなと言われたが、五六年、二十二歳のときにテゲルベルグ丸で単身移住した。
 身元引受人のいるアラサツーバで三カ月、その後サンパウロ市に出て中尾氏の下で一年間勉学に励んだ。後にコチア産業組合、ヴァリグ航空で勤めた。
 その後ウジミナス社イパチンガ製鉄所の溶鉱炉建設に関わった際、日系進出企業の出向社員らを石の採掘所や研磨所などに連れて行っていたという。それが現在の道を歩むきっかけとなった。
 「宝石屋をやったらどうだ」と周囲に勧められ三十一歳で小さなギャラリーから土産屋を始めた。今では同船者の一人は、加賀山さんのことを「同船の中で一番の成功者」と評するほどだ。
 のべ百六十平米ある二階建ての店内を見渡すと、数万点の宝石類や特産品がすき間なくひしめいている。
 日系の土産屋としては最古参の一つと自負する加賀山さん。店じまいは本当に寂しいと洩らしつつ、「たくさん働いた」とやりきった表情も見せる。「掘り出し物もまだたくさん残っている」といい、最後に多くの人に訪れてもらいたいと、七月か八月ごろに大謝恩セールを行う予定だ。
 平日は午前十時から午後六時半、土曜日は午後三時まで営業している。日曜・祝日は定休。問い合わせは同店(11・3088・1959)まで。

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