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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年4月16日付け

 「屋上屋を架す」とは読んで字の通り、屋根の上にまた屋根をーつまり無用のことを指す。屋上に屋を架していいのは五重の塔だけだ。文協はよほど雨漏りがひどいのか、屋根を架してばかりいる▼今月六日付けの『経済報知』紙上に掲載された「新文協運営組織」によれば、新体制では運営・統括両委員会が設立されるとか。簡単に説明すればこうだ。会長を補佐するために第一~四副会長による「運営委員会」を作り、福祉・事業交流、運営・管理を実施する「統括委員会」は、副会長や理事らで構成されるーというのが骨子。何のために? と賢明なる読者はお考えだろう。小欄はこう解く。老朽化している骨組みを隠すため、新会長の手腕に対する疑問をかわすための方便だ、と▼二年前の上原幸啓会長三期目の選挙時、百周年理事長との兼職を問題視されたさい、「四副会長による合議制」を盾に押し切ったのと同じ理屈だ。現在、予算もなく、活動実態のない小委員会がいくつあるだろう。国士舘委託運営、史料館独立問題はどうなったろうか。改革の声が上がれば、臨時評議員会で三カ月に一度開く検討委員会を設立し、問題を先送りする。その牛歩のさまにやる気のあった関係者は嫌気がさし、関心を失っていく。むしろ、目的はそこにあるのかも知れない▼今、文協に必要なのは、贅肉を殺ぎ落とし、屋台骨を強化し、フットワークを軽くすることだ。呆れながらも重い屋根を支える会員の声に耳を傾けねばならない。この新組織の構想、ジョルジ・ヤマシタの署名があるが、氏は翻訳しただけ。考案者はもちろん簾の奥の御仁であることを屋上屋ならぬ蛇の足としたい。 (剛)

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