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移住50周年を祝おう=59年8月のあるぜんちな丸=内山さんら同船者に呼びかけ

ニッケイ新聞 2009年4月17日付け

 一九五九年八月十三日サントス着の移民船「あるぜんちな丸」の同船者会を開こうと、同船で移住した内山住勝さんらが呼びかけている。今年で渡伯五十周年の節目。同船会は八月に開かれる予定だ。
 同船での移住者は約七百四十人で、家族、単身者、花嫁移住者や力行会、産業開発青年隊員などで構成されていた。
 「色とりどりのテープが上と下から投げ交わされ、人によっては何本も持ち、誰がどのテープを持っているのか全く分らない。それでも地上と繋がっていると言う感覚のみで握っていた」――。
 呼びかけ人の一人、内山さんは本紙に寄せた文章で、横浜港を出港した日の思い出を次のように綴っている。
 「午後四時、大型貨客船あるぜんちな丸の出航であった。何時動き出したのか判らないが、ただ握っているテープが段々横方向に引っ張られ、多くのテープがよじれ一束になって行く様を見て、動いている実感が湧いた」
 「乗船者は、見送り人達の見える船尾の方へ走り寄り、既に切れてしまったテープを持って『さよなら、さよなら』と寂しさを堪え、ある人は泣きじゃくっていた。その夜は、船内で出発祝いの尾頭付きの鯛と赤飯が振舞われた」
 日本を出発後、サンフランシスコ、ロス、バルボア、パナマ運河、キュラソー、ベネズエラのラガイラ港を経て、リオ、サントスに着岸した四十五日間の船旅。船上運動会や赤道祭、またロスでは青年の密航者二人が逮捕されたり、短期農業労務青年との出会いなどもあったという。
 渡伯後の悲喜こもごもの人生を同航会の中で語り合いたい、多くの移住者に集まってほしいと内山さんは呼びかけている。
 問い合わせは、永山八郎さん(電話=11・3167・3749)、林恵里さん(旧姓作道、11・4742・6650)、内山住勝さん(11・5012・7911)まで。

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