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サンタクルース病院=日本病院から築いた70年=同仁会の理想はいまも=「日伯の掛け橋として更なる挑戦を」=高岡医師長男=高岡健太郎氏も出席

ニッケイ新聞 2009年6月17日付け

 サンタクルース病院(サンタクルース日伯慈善協会経営、菜切健児理事長)は「創立七十周年式典」を十五日午後七時、サンパウロ市ホテルで挙行した。同病院の前身、旧日本病院の母体となった「在ブラジル日本人同仁会」創立者の一人、高岡専太郎氏の長男健太郎氏、大部一秋在聖総領事夫妻、デルフィン・ネット元財務相をはじめ、日伯関係者二百人余りが祝賀に駆けつけた。菜切理事長は、「日伯の掛け橋となり続け、更なる革新・挑戦をしていく」と力強く話した。

 一九三九年四月にサンタクルース病院の前身であり、初めての日系医療機関である「日本病院」が建設されて今年で七十年を迎えた。
 式典であいさつに立った菜切理事長は、「七十年を迎えたが、これからも変革・挑戦しつづけ、日系社会だけでなくブラジル社会にも貢献していきたい。病院を新たな世代へと繋げる」と宣言した。
 続いて、創立時から専務理事として力を尽くした故高岡専太郎医師、また一世では第一号としてサンパウロ大学医学部を卒業し病院の戦力となった故細江静男氏、戦中も合わせて五十年も働いた故武田義信医師、病院建設のために日伯間で募金運動促進に貢献した故内山岩太郎元在聖総領事、そして今年三月まで九年間理事長を務めた横田パウロ名誉理事長らがオメナージェンされた。
 壇上に呼ばれた高岡健太郎氏(90、二世)は、「自分は医者になりたいなんて思ってもなかったけど、父には逆らえなかった」と、専太郎氏との思い出話で会場の笑いを誘った。
 散らばる日本人移住地を回り、衛生指導書を配るなどして医療向上に多大な貢献を果たした専太郎氏は、教育にも熱心だったという。健太郎氏は喜びの表情でプラッカを受け取った。
 続いてオメナージェンされた人を代表し、横田名誉理事長があいさつ。七十年の歴史とともに先人らを紹介、感謝を示した。
 さらに、創立時からブラジル人医師を院長にし、日本の技術を導入して最先端の医療機関としてブラジル社会に貢献、日伯の掛け橋となってきたことを強調。「この仕事を続けられることを誇りに思う」と力強く述べ、拍手が沸き起こった。
 大部総領事は「移民の役に立ち、またブラジル社会にも貢献してきたことは大変喜ばしい」、またデルフィン元財務相も「日系社会はブラジル社会を経済、医療さまざまな面で発展させてくれた」と賛辞を送った。
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 日本人移民の医療衛生管理のために二四年に創立された同仁会が元となり、落成された同病院。昭和天皇の御下賜金、帝国外務省補助金、在留邦人基金、日系社会各地からも浄財が届けられるなど、日伯一丸となった動きの末に開設した。
 セメント、鉄筋など建設用資材は全て日本から送られたものだ。しかし、四二年には敵性国資産としてブラジル政府に接収され、九〇年代までその経営は日系社会から離れていた。
 横田名誉理事長は、ニッケイ新聞の取材に対して、「これからの七十年を考えなくては。日系・ブラジル社会で求められている高齢者医療に力を入れていく。日伯をつなぐ役割をしていきたい」と答えた。

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