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サンタレン=人気の焼きそば屋さん=長澤元伯・エレーナ夫妻=新宿でラーメン屋台も

ニッケイ新聞 2009年6月19日付け

 【サンタレン発=堀江剛史記者】「モッチャン、玉ねぎ高くなったわねえ」―。アマゾン中流域の港町サンタレンのスーパーマーケットで買い物をする夫婦。焼きそばが人気の日本食レストラン『ひとみ』(Rua Silverio S correa 1253 Centro)を経営する長澤元伯(もとのり)さん(63、鹿児島)とエレーナさん(60)だ。仕事はもちろん、週二回の買出しも常に一緒という仲睦まじさ。日本で生活した八〇年代には、東京・新宿でラーメン屋台を引き、雑誌『女性自身』にも取り上げられたことも――。
 長澤さんは満州・奉天生まれ。終戦後の四八年に鹿児島に引き揚げた。
 中学卒業後に入隊した自衛隊を「なんとなく」辞め、東京でラーメンの屋台を引いていたある晩のこと。
 客が忘れた雑誌をめくっていて、六カ月の研修後に農業移住ができる「海外移住事業団農業研修」の広告に目がとまった。当時、海外旅行は夢のまた夢。「ただで海外にいけるのか」―。
 思い立ったが吉日、すぐさま申し込んだ。七三年最後の移住船となった「にっぽん丸」に乗り込んだのが二十七歳。
 第二トメアスー移住地に入植、ピメンタ栽培を手掛けた。二十五町歩の農園主となったが、あっさりと友人に譲り、ベレンの日本食レストラン『博多』で働くことに。
 当時、建設が進められていたツクルイ水力発電所の工事現場に出店が決まり、支店長として厨房に立っていた。
 そんなおり、衛生局の職員として、エレーナさんが監査に訪れた。「かわいい娘だなあ」と一目ぼれ。
 二年後の八三年、ベレンの街で偶然再会してからというもの、連日の電話攻撃でエレーナさんの気持ちもなびいていった。
 しかし、すでに長澤さんは帰国を決めており、たった二十日間の交際で一旦別れることになる。
 昔取った杵柄、と屋台を引いていた長澤さんの元に、エレーナさんからの手紙が届いた。その恋慕の想いは届いた。
 かくしてエレーナさんは、平均月収の十倍の収入を捨て、愛する人の待つ日本へと向かった。
 「成田で待っていたんだけど、いつまで経っても出てこない。心配しましたよ」。滞在先の住所が書いてある入国申請書が問題となった。
 「当時社会問題となっていたアジア系の女性が日本で働く〃ジャパゆきさん〃と勘違いされていた」と二人は笑う。
 六畳一間が愛の巣となり、翌年には一粒種、元さんも誕生した。
 その頃に東京での生活ぶりが雑誌『女性自身』で「褐色の瞳のエレーナは子連れ屋台のラーメン屋さん」と紹介された。
     ◇
 「ヘイ、イーラッシャイ!」。客に呼びとめられて、屋台が止まる。手ぎわよくラーメンを作る主人のそばで、ニコニコ愛想よく笑っている妻を見て酔っ払った客はすっとんきょうな声をあげた。「アレ、親父さん、外人さん連れてるんだ、珍しいラーメン屋だね」。そういわれた主人は照れ臭そうに頭をかきながら言った。「ええ、うちの女房なんです」―(昭和六二年七月七日号「シリーズ人間」)
     ◇
 「みんな親切でしたよ。『暑いブラジルにはないだろう』ってリンゴくれたりね」と話す長澤さん。エレーナさんがブラジル料理を懐かしがれば、自作した。
 「ブラジルの味そっくりのシャルケを作ってくれた。干し具合を見るのに味見してるうちに半分食べちゃったけどね」。
 九六年に再度ブラジルへ。エレーナさんの故郷であるサンタレンでレストラン『ひとみ』をオープンした。大人気の焼きそばは特製麺を使用、びっくりするのはその野菜の量だ。
 「野菜嫌いの子供を持つ親の『焼きそばなら食べるから』っていうリクエストに応じるうちに量が多くなってしまった」と笑う長澤さん。
 「サンタレンに来たら、是非食べにきてください」と満面の笑顔を見せる二人。昨年は銀婚式も祝い、多忙ながらも幸せな毎日を送っている。
 長澤さんのホームページ(http://suk2.tok2.com/user/mottin/)でアマゾンの町サンタレンの生活ぶりを知ることができる。

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