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日伯論談=第15回=日本発=池上重弘=日本の高等教育機関で学ぶ若者たちに希望を寄せて

2009年8月15日付け

 世界的な景気後退以降、ブラジル人学校をやめて不就学に陥った子どもたちの問題が、日本のブラジル人コミュニティにおいて深刻な問題となっている。
 しかしこの小文ではあえて、日本の大学に進学した子どもたちの取り組みに焦点をあてて紹介したい。日本で生きる子どもたちにとって、日本社会で教育面の成功を収めた先輩たちの姿を知ることが大きな励みになると考えるからである。
 また、日本社会側にとっても、そのようなブラジル人の若い世代の存在は、ブラジル人に対する偏見をただすことにつながるだろう。
 私の奉職する静岡文化芸術大学は静岡県浜松市にある。本学の学長だった川勝平太氏が七月の静岡県知事選挙で当選したことはニッケイ新聞でも報道され、記憶に新しいことだろう。
 浜松市ではこの一年間でブラジル人の数は千人以上減ったが、一万八千人を超えるブラジル人が暮らしている。本学にも、この町で育った三人のブラジル人学生が在籍している。
 日伯交流百年を記念して、本学でも二〇〇八年十月に移民パネル写真展「ブラジルの中の日本、日本の中のブラジル―写真で見る百年、過去から未来へ―」を開催した。ブラジルへ渡った日本人の姿、現在のブラジルでの日系人の暮らし、そして現在の浜松で生きるブラジル人たち―。
 それら三つの柱を軸に、子どもたちの姿を中心に写真で紹介した。(写真展の詳細については、http://www.suac.ac.jp/news/eventend/348.htmlを参照)。
 その関連イベントとして二〇〇八年七月に「ブラジル人大学生と高校生との座談会」(以下、座談会)が実施された。
 本学のブラジル人学生三人が企画し、浜松市内の公立高校に通うブラジル人高校生たちに参加を呼びかけた。その結果、高校生八人が参加し、計十一人が親との関係や将来の夢など、日頃考えていることや悩んでいることについて四時間にわたって語り合った。
 その模様はVTRで撮影され、全貌を記録した報告書が作成された。また、重要部分を二十五分間のDVDに編集し、十月の写真展で上映したところ、来場者から高い評価を得た。
 座談会に参加した十一人は日本での生活が長く、日本語の方が流暢であり、ポルトガル語を十分に使いこなすのは数人だけだった。その一方で日本社会にとけ込んで学びながらもある種の壁を感じ、ブラジルと日本のはざまで生きることについて彼らなりに多様な意見を持っていた。
 座談会の中で私がもっとも強い関心を持ったのは、進路と夢に関する部分である。高校生参加者の多くは日本での大学進学を夢見ている。
 ブラジルに戻ると、能力に応じた自分の将来は開けないと自覚しているのだ。自分のポルトガル語能力の不十分さを自覚し、ブラジルでポルトガル語を学びたいと語る者もいた。
 いずれにせよ、参加した若者たちが自分の将来を思い描くのは日本においてであり、ブラジルではない。しかし、ふたつの国・文化・言語に通じていることを利点として活かせるような職業につきたいと述べていた。
 たしかにこの若者たちは、日本で暮らす同世代のブラジル人のうち、ごくまれな成功例だろう。中学校も卒業せずに教育の場からこぼれ落ちる子どもたちも数多い。けれども、まだ絶対数は少ないけれど、高校進学を果たす若者は確実に増えているし、大学まで進む者も現れてきている。
 しかしながら、昨今の深刻な経済情勢下で、こうした進学の機運にも大きな影響が出ている。高校に進学しながらも家計を支えるために退学する子、学力があるのに定時制に進み働きながら学ぶ子、そして進学自体をあきらめなければならない子が増えているのだ。
 景気後退下では仕方ないことかもしれないが、それは日伯両国にとって大きな損失であると言わざるを得ない。
 座談会で語り合った若者たちは両国にとって希望の光だ。日本人側にとって、彼らの姿や語る言葉は、これまで持っていた「工場労働者としてのブラジル人」という偏見をくつがえすきっかけになるだろう。
 ブラジル人高校生にとって、同じ境遇ながら大学進学を果たした先輩の姿は、将来の夢や進路を考える上で良い「ロールモデル(お手本)」になるに違いない。そしてブラジル人の親たちにとって、高校や大学で学ぶ若者たちの姿は教育の重要性を改めて認識する機会となるはずである。
 この座談会のDVDはすでにニッケイ新聞とサンパウロ新聞に送付されている。日本語音声しかなく、字幕もついていないため不便な点はあるが、ブラジルでも多くの人に見てもらいたい。
 日伯交流百年の二〇〇八年に、日本でもっとも多くのブラジル人が暮らす浜松市で日本の高等教育を受けているブラジル人の若者たちが語った言葉の記録は、大げさに言えば歴史的資料とも言える。
 日伯両国の関係者が力を尽くし、この座談会参加者のような若者が一人でも多くなることが、両国の大きな財産となるのではないか。
 そのためには日本社会側において進学を支える支援者が必要であることは言うまでもないが、ポルトガル語能力を高めるために留学や一時帰国する若者たちに対するブラジル日系人社会側の支えも重要である。

池上重弘(いけがみ・しげひろ)

 静岡文化芸術大学教授。北海道大学大学院文学研究科修了。同大助手、静岡県立大短大部専任講師、静岡文化芸術大学助教授を経て、2008年より現職。浜松市外国人子ども支援協議会会長、磐田市多文化共生社会推進協議会会長等。主著に『ブラジル人と国際化する地域社会-居住・教育・医療-』(編著、明石書店)、『国際化する日本社会』(共著、東京大学出版会)。

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