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ノロエステ連合50周年祝う=節目迎えた〃移民の故郷〃=三笠宮殿下ご来伯で発足=「次代リーダー育成を」

ニッケイ新聞 2009年9月9日付け

 移民五十周年式典に出席されるために一九五八年六月にご来伯された三笠宮殿下ご夫妻。その歓迎のために組織された連絡会がもとになり、一九五九年にリンスで総会が行われ、ノロエステ連合日伯文化協会が発足して今年で五十周年を迎えた。半世紀の節目を祝うために六日、アラサツーバ文協大講堂に三十支部から六百人以上が集まり、次世代への期待をのべ、〃移民のふるさと〃は新たなる躍進を誓った。

 六日午前九時、ノロエステ本願寺と南米本願寺により、記念追悼法要が執り行われ、読経が響く中、厳かに焼香し、先人の遺徳を思い起こしながら全員が手を合わせた。
 五八年、三笠宮殿下ご夫妻はリンスをご訪問され、大変熱烈な歓迎を受けた。皇室初のご来伯にして、ノロエステにとって唯一の機会だった。これを機に日本人会が連絡を強め、地域として活動を盛り上げていくために連合が発足したのが翌五九年五月十七日、リンス市の青年会館だった。
 移民五十周年記念で実施された実態調査によれば、同地方全体では六千八百八十二家族、四万八千三百七十一人を数える大集団地だ。
 その後、本部を現在のアラサツーバに移転し、鉄道沿線四百余キロを四地区(各会長1A=佐藤風太郎、1B=佐道善郎、2=長谷川峰夫、3=本間重男)に分け、総会、農事研修会、盆踊りなどを毎年行っている。 午前十時からの記念式典では、最初に先亡者に一分間の追悼を捧げ、白石一資会長(74、二世)は「若い人に役をやってもらい、移民二百年に向けて頑張って欲しい」と挨拶し、アラサツーバ市のアパレシード・セリオ・ダ・シルバ市長は「日系団体の活躍は顕著、大変な価値のある連合会であり、市を代表して祝福したい」と慶祝の言葉をのべた。
 大部一秋在聖総領事は夫人同伴で参加し、「この地で法要に参加でき、感激している」とのべ、木多喜八郎文協会長の祝辞に続いて、飯星ワルテル伯日議連会長は「上塚周平をシンボルとするこの地も六世の時代を迎えようとしている。日系人の誇りを持って日伯の架け橋になり、がんばっていきたい」と語った。
 非日系のジョルジ・マルリ連邦下議も「カフェランジアで医師をしていた祖父の代から日系人との付き合いがある。カラオケ、運動会など一度も日系団体からの出席の誘いを断ったことがない」とし更なる協力を誓った。
 式典の後、飯星議連会長から、同地の功労者九十八人に議連名の感謝状が贈られ、さらに同連合から七十八人にも日ポ両語で書かれた感謝状が渡された。婦人会(宮田美智子会長)が腕を振るった記念昼食会をはさんで、午後は三十支部から約七十もの余興が披露され、和やかに一日を過ごし、午後八時に閉会式が行われ、夕食を食べて解散した。
 白石会長はニッケイ新聞の取材に答え、「アラサツーバには現在約二千家族の日系人がおり、うち八百家族が会員になっている。ノロエステ全体ならまだ四千家族いる。次代のリーダー育成が緊急の課題」と今後の抱負をのべた。
 日語モデル校の学務部長などを務めた森垣正利さん(86、兵庫県)は「感謝状を渡すのは励みになっていい」と誉めると同時に、「もっと日本語教育に力をいれて欲しい」と要望した。
 〇四年まで十八年間も連合会長を務めた五十嵐二郎さん(79、二世)は、「三十年前までは一世ばっかりでガンガンやられ、怖かったが良い勉強になった。あれから連合も大きく変わった。時代の流れでポ語が増えるのはしかたないが、日語教育もたゆまず続けて欲しい」との期待を語った。

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