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ジャクチンガの思い出今も=サンパウロ市で13回目の出身者会=三世も参加、60人で賑う

ニッケイ新聞 2009年10月21日付け

 サンパウロ州ポンペイア市郊外にあったジャクチンガ移住地出身者の集い(国井精世話人代表)が12日、サンパウロ市の青森県人会館で開催された。1936年に入植が開始された同移住地。綿やバタタ栽培で潤い、最盛期は98家族500人が暮らした。同集いは74年から開始され、今年で13回目。かつてそこに暮した人たちだけではなく、同地で生まれた二世、また、移住地を訪れたことのない三世が大半を占める。入植者はすでに同地を離れ、今は牧場に変わり参加者の高齢化も進む。それでもなお、年に一度の集まりを楽しみにして来た人たち60人で会場は終日、賑わいをみせた。
 午前11時半過ぎ、先亡者に一分間の黙祷が行われ、続いて世話人の7人が会場の前に並んだ。挨拶に立った国井さんは、「派手にしなくて良いので、長く続けていきたい。ジャクチンガを愛してくれている人がいるので続けられる」と話し、「時間の許す限り、昔話をしながら楽しい時間を過ごしてください」と呼びかけた。
 39年に18歳で入植した森西茂行さんの音頭で乾杯し、会食に移った。出席者持ち寄りの食べ物がテーブルにずらりと並び、国井さんの夫人恵美子さん特製のしじみの味噌汁が振舞われた。
 「あれ、おたくはどちらでしたかね?」という挨拶が方々で聞こえた。名前がすぐに出てこない場面もあったが、そこはさすが同郷者。二言、三言会話が進むと、正体が判明するようだ。それからは自然と昔話に花が咲き、そのうち体の調子や病気の話、それに、デカセギについて話す姿も多く見られた。
 会場内ではあちらこちらで再会を喜ぶ姿が見られた。午前9時から午後3時まで話は尽きることがなく、出席者は年に一度の集いを楽しんでいた。
 会の中ごろ、抽選で記念品の贈呈が行われ、全ての家族に行き届くような心配りもされた。さらに、昨年の集いの記念写真入りの写真立てが今年の記念品として参加者に配られた。午後3時、記念撮影をし、会は終了した。

祖父母の結婚写真に感激=中間さん「他の予定入れない」

 「この日を楽しみに、カレンダーにマルカして他の予定は一切入れないの」と話すのは、ジャクチンガで生まれ、9歳まで過ごした中間万里恵さん(65、二世)。10年近く、毎年参加している。
 「一緒にままごとをしていた子が来ていないのが寂しい」が、同地の人たちは家族のような存在だと語る。両親が厳しく日本語ばかりの生活、「日本語はどこへ行っても不自由なかった」という。「あばら屋でも楽しかった」と日本語学校の思い出を振り返った。
 息子、娘たちに同地の話をすることもあるが、「珍しそうな顔で聞いているが、興味はなさそう」と、少し寂しそうな表情も見せていた。
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 「走ることで同い年の子にはめったに負けたことがない」と語るのは、寺畑侃(ただし、80、和歌山)さんだ。8歳で渡伯し、1年後に入植、16歳まで同地で育った。
 すらりと伸びた長身。「(学校では)体が大きいから歳上と並ばされる。ただ、走るのは負けなかった」と自信たっぷりに語る。毎朝4時か5時に起きて、父親と一緒に走れる所を探して練習していたという。
 明るい顔が突然曇る。前の週の金曜日に姉のハルエさんが亡くなった。「今回は行くのを止めようかと思った」が、病床から「みんなに会ってきてくれ」と言われ参加を決めた。まるで死期を悟っていたかのようだったという。
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 祖父母の結婚式の写真を見て、驚きの表情で感嘆の声を上げたのは谷口健造さん(28、三世)。母の谷口睦美(旧姓伊藤)さんと一緒に、初めて訪れた。国井世話人から、写真があるから是非来てくれと言われ参加することにしたという。
 国井世話人の父は同地で49組の仲人をしたことから、たくさんの写真を保管していた。「私が持っているよりは」ということで、参加する人に渡しているという。
 健造さんは、「ジャクチンガは通過しただけだが、ポンペイア市にある祖父の墓は参った。来年は父と姉も一緒に、家族で参加したい」と語った。帰り際、母と共に写真を嬉しそうに、大切に持ち帰っていた。

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