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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《5》=マナウス=活気溢れる成長都市=慰霊碑に花たむける

ニッケイ新聞 2009年11月5日付け

 西部アマゾンの中心地マナウス。1669年にポルトガル人によって開かれ、19世紀後半にゴム景気を謳歌したこの町は、1967年のゾナ・フランカ(免税地域、Zona Franca)設置以来、今も企業進出が続く。20世紀前半のゴム衰退後、企業進出時代までの隙間を埋めたのは高拓生らに代表されるジュート(黄麻)栽培だった。
 人口は約180万人。現在2014年のサッカーW杯に向けて州が600万レアルかけて施設を整備する計画もある。落ち着いたベレンの町並みとは対照的に、マナウスは成長を続ける都市の活気にあふれていた。
 ふるさと巡り一行はトロピカルホテルへ。その途中、アマゾナス劇場を訪れた。
 ゴム最盛期の1896年に完成したイタリア・ルネッサンス様式の同劇場。ベレンの平和劇場では石畳の代わりにゴムが敷き詰められたが、こちらでは演奏の音が外に漏れないよう、当時の有力者が壁の間にゴムを入れて音を遮断するよう提案したというエピソードもあるそうだ。
 劇場の向かいにはサンセバスチョン広場。中心に立つ記念塔は四方に船の彫刻が施され、各面にアメリカ、アジアなどと刻まれている。マナウスから世界へーという当時の活気を感じさせる。
 宿泊したトロピカルはとにかく広い。受付から記者の部屋まで200メートル近くあり、その奥にも部屋が続く。敷地内にはビジネスホテルや動物園も。ネグロ川沿いのプライアの端にあるリゾートホテルだ。
 その日の夕食は、市中心から離れた川魚料理のレストラン。ピラルク、タンバキと、アマゾンの川の幸が供され、にぎやかに過ごした。
   ▽   ▽
 マナウス市には約5千人の日系人が暮らす。高拓生など戦前移住者の子弟や、戦後アマゾン各地へ移住した後に出てきた人、日系企業の駐在員や企業進出とともに国内から移ってきた人たちなどだ。日系人口が少ないこともあり、駐在員との交流は盛んだと言う。
 マナウス式典の会場となった西部アマゾン日伯協会の敷地には、同協会とアマゾナス日系商工会議所、ATSツールのほか、アマゾン高拓会の事務所も同居する。会館から2ブロックほど離れたところにはマナウス総領事館。同地の80周年記念行事も、これらが協同して進めてきたものだ。
 当初は空調が働かず、汗がにじむ中で式典は始まったが、やがて復旧し無事に終了。各地の参加者、一行はその後、同文協が運営する市内「憩の園」へ向かった。
 マナウスでは昨年の日本移民百周年を記念して空港入り口に鳥居が設置された。それが80周年にあわせて同園敷地の慰霊碑の入り口に移設されている。この慰霊碑はアマゾン移住50周年を記念して建立された。揮毫したのは故橋本龍太郎厚生大臣(当時)だ。一行も鳥居をくぐり、階段を上って碑に献花し、手を合わせた。
 鳥居の手前で一行に花を手渡していたのは、同日伯協会で働く辻田三千子さん(65、奈良)。辻田さん一家はベラ・ビスタ移住地より早い53年2月、戦後第一回ジュート移民としてイタピランガへ入った。
 ジュートの刈り取りで水に潜っていたことで「今でも少し耳が悪いんですよ」と話す辻田さん。4人の兄弟はマラリアや農薬で亡くなった。「56年は走馬灯のよう。苦労したかと聞かれても夢のようで、実感がないですね。残念だったのは、山の中で教育が受けられなかったこと」。
 炎天の下、麦わら帽子をかぶり、慰霊碑を訪れる慶祝団の一人一人に一輪の菊の花を手渡す。80周年を迎えて「感慨無量」と喜ぶ辻田さん。「家族が生きていたらと思います。私一人だけで、嬉しいけど寂しいですね。でも、皆さんが花をたむけてくれるからありがたいですよ」と言葉を継いだ。(つづく、松田正生記者)

写真=マナウス市内にある慰霊碑に手を合わせるふるさと巡り参加者たち

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