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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【キナリー編】=(中)=今なお褪せぬ思い出

ニッケイ新聞 2009年11月13日付け

子供たちの視線

 移住者は村の合宿所から約5キロ離れたロッテへ通った。30アルケールの土地は一区画100×3000メートルに分割。伐採、山焼き。ゴムの苗を植え、米やミーリョの栽培を始めた。
 移住者を悩ませたのが、リオ・ブランコまでの道のりだった。1年前にようやくアスファルト舗装されたが、当時は「雨が降ると石鹸みたいにツルツルで、歩いた方が早い」。マラリアに罹る人も多かった。
 開拓の地では、ある程度の年齢になった子供も立派な働き手だった。
 「長男だったから、昼も夜も無かった。真剣でした」と話すのは、当時15歳だった篠木敏夫さん(66、兵庫)。「長女だから頼りにされて」という恵子夫人(旧姓・原)は「畑仕事は負けなかったけど、結婚した時は洗濯、ご飯全くダメ」と笑う。父を恨んだことも、「何で連れてきた」と母を責めたこともあった。「でも自分が結婚して子供を持って、両親の気持ちが分かりました」
 叔父の浜口一家の構成家族として移住した金井秋夫さん(67、熊本)は当時16歳。「長男扱いだったから、ランプの燃料かついで5キロも6キロも歩いて。メルカードで豆を売っても、60キロ?70キロ?言葉分からなくても売らなきゃいけない。遊びたい年頃だったしね」
 「アルファッセを天秤で担いでリオ・ブランコで売るんだけど、多感な時期だし、恥ずかしかったですね」と振り返るのは、17歳だった川田信一さん。「家を建て、井戸掘り、山伐り、色々あったけど、キナリーに来て不幸とは思わなかった。アクレの5年は思い出ですよ」
 もっと幼い子供たちはより早く、新しい環境に順応していったようだ。
 浜口さんの娘、澤城由美子さん(59)は「当時は幼くて遊ぶことばかりだったけど、(第1回入植者の)川田敏之さんの自分史(本紙に連載中の「片道切符・奥アマゾン」)を読んで『たいへんだったんだな』と思う。親の勇気に感心します」と話す。
 「すぐに外人の友達ができて、子供たちは裸足で楽しんでいましたよ」と思い出すのは、敏之さんの娘で、初めて集いに参加した川田悠子さん(ポ・ベーリョ在住)。5歳だった。「家長とは感じ方が違ったかもしれませんね」。
 10歳だった大水久雄さん(長崎)も「子供たちは割りとスムーズになじんだと思う」と話す。「でも、親たちは何も言わなかったけど、言葉もできず、交際も狭かったし、日本に帰りたい気持ちもあったのでは」と想像する。「皆一人一人のドラマがあった。たいへんな時代でした」

コロニアの日々

 移住者の生活を助けたのが、受け入れに当たった海外協会連合会(海協連)の指導員だった。最初の上野氏はベレンからの船中でマラリアに罹り下船。2人目の谷正一氏の次に指導員を務めたのが、西部アマゾン日伯協会長を長年務めた村山惟元氏だった。この集いの6日前に亡くなった。
 通訳、買い物、郵便など、生活全般を助けた指導員。浜口さんの長女、宮本輝代さん(61、マナウス在住)は「何でも町までお願いに行きましたよ。いてくれて助かりました」と思い出す。
 作物運搬のため、海協連からフォードの8トントラックが貸与された。日本で自動車教習所に勤めていた岩中藤松さんや村山さんなどが指導して免許を取った。「ボリビアにも時々行きましたよ」と悠子さんは話し、「ぶつかるような車もなかったし」と笑う。しかし当のトラックは交換部品がなく、3年でだめになってしまったそうだ。
 入植の翌年、キナリーでは入植1周年の式典を行った。川田信一さんの記憶によれば、約50人の州政府関係者が訪れ、当時の州統領は「アマゾンの発展のため、ゴム栽培を皆に期待する」と述べたという。「でも、ゴムじゃ食えなかった」
 悲しい出来事もあった。岩中さんが隣家の建築を手伝っているところ事故に遭い、死亡。母親も早く亡くなっており、3人の子供が残された。長男の徹さん(昨年11月に死去)は残ったが、下の2人は国援法の適用を受け、帰国した。
 金井さんは振り返る。「上の世代は酒、よく飲んでたね。皆戦争を経験してたし、さみしさもあったかもしれない」(つづく、松田正生記者)

写真=1963年のキナリー村(西部アマゾン日本人移住70年誌「緑」より)

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