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二世とニッポン語問題=―コロニアの良識にうったえる―=アンドウ・ゼンパチ=第6回=三つの二世像(1)

ニッケイ新聞 2010年2月19日付け

 ある神父が、インドの森林の中を歩いていた時、オオカミの穴から、年が七つと二つぐらいと思われるふたりの女の子を見つけだした。胸や肩や頭には長い毛が密生しており、四足で走ればとても人がおいつけなかったそうだ。生肉を好んでたべ日がくれると活動を初め、夜中の10時と1時と3時にはきまって森にいるオオカミたちと高くなきかわすなど、完全にオオカミの習性をもっていた。
 このふたりは、神父によって注意ぶかく育てられたが、はじめはまったくコトバをいうことができなかった。小さい女の子は、ふた月たって、やっと「ミズ」という人間のコトバがいえるようになったが、大きい方は、二年目になって、コトバらしいものがいえるようになった。
 しかし、小さい方は一年たつと死んでしまった。大きい方は、14歳まで生きていたが、死ぬまでに七年かかっておぼえたコトバは、たった45の単語だけだったという。
 ニッポン人の子だろうと、ブラジル人の子だろうと、人間の子は、みんな同じで、自分を育ててくれたものや、カンキョウによって、どんなにでも形をかえていくものである。人間と動物のちがいはここにあるので、こういう特殊なすぐれた性質があるからこそ、教育の効果が現われるのである。
 それだから、二世とても、かれらの人間像が形成されていく時代、すなわち、生れてすぐから、青年になるころまでの時代に、どんなふうに、育てられ、どんなカンキョウで生活するかということでまったく文化がちがってくるわけである。身につく文化が親とちがえば、その人物像も親とちがったものになるのだ。
 ニッポン文化とブラジル文化の合の子として育てられた二世の中にも家が都市にあるもの、「植民地」的なニッポン人の集団地に住んでいるもの、ジナジオから更に上の学校へいくもの、グルーポだけで「植民地」にひっこんで農業をやるものなど、生活するカンキョウのちがいで、かれらの人間像も個人的にはまちまちであるが、ニッポン文化とブラジル文化を、だいたいどんな割合で身につけているかというごく大ざっばな見方で観察すると、だいたい二世の人間像は三つの型に大別できるようだ。これを分りやすく図で示すと、
 Aはニッポン文化とブラジル文化がちょうど半々に身についているものでニッポン語もポルトガル語もどちらも自由に話し、さらにどちらも読みかきできるというのである。したがって、社会的な生活はコロニアとブラジル社会との区別なく、どちらででもやれるし、どっちの社会に、はいつていっても、劣等感(ひけめからくるひがみや卑屈な気持)がない。
 またニッポン人すなわち一世の気持や考え方、行為などに対して理解があるから、一世とのマサツが少い。一世とブラジル人との間にいろいろ問題がおきた時、どちらにも公平に調停できるのはこの形の二世である。わたしは各地でこの形の二世を何人も見た。
 Bはレジストロ、バストスのようなニッポン人の大集団にもっとも多い形であるが、農村の二世は、大部分、このタイプに当るのではないだろうか。ニッポン語はニッポン語学校でみっちりたたきこまれていて、キング、平凡などをよみこなし、おもしろいというし、ニッポンのシネマが大好きだ。(つづく)

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