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富山県人会=旅順丸渡航者探し=8月の式典に向け

ニッケイ新聞 2010年3月5日付け

 県人移住100周年、県人会創立50周年、母県サンパウロ州姉妹州県提携25周年という節目の式典を今年8月に予定しているブラジル富山県人会(根塚弘会長)では、1910年に第2回移民船・旅順丸で渡航した、最初の富山県出身の扇浦(おぎうら)家、青木家、内山家の3家族の子孫を捜している。
 扇浦家の家長・祐蔵さん(故人)の次男・謙三さんの妻が存命で、すでに連絡が県人会と取れているが、他の2家族の縁者を探しており、市川利雄総務委員長が電話帳を繰って、片っ端から電話しているところ。
 青木家は吉太郎さんを家長に、グアタパラ耕地に入植し、そこで1910年に長男ジョージ、13年に次男ジョゼ、15年に三男アントニオ、18年に四男ジョー、途中、モジアナ線グアリローバ耕地に移って、さらに22年に長女ミナ、24年に五男アマデウさんらをもうけているが、その後の音信がつかめていない。
 内田家の家長、仁之助さんは妻フデ、子の勘祐の3人で渡伯し、モジアナ線グアリローバの耕地に送られ、その後、サントスに近いカイラス石灰製造工場で住み込みで働いたという。その後、サンパウロ市で「ビル清掃の請負業」をやっていたというが、連絡先は分からない。
 その後の消息を知っている方は県人会事務局(11・3207・3083)まで。

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