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日語教師リレーエッセイ=第2回=「私の継承語教育」=バストス=水馬京子

ニッケイ新聞 2010年6月12日付け

  「あんたは、ジャポンノーボだから、日本語をうちの子に教えてもらえんだろうか。」
私がブラジルに来て5年目、ちょうど二人目の娘が三歳になった頃、知り合いの人に聞かれました。
もともと、ピアノを教えたりしたこともあって、教えることは好きなほうだったので、週に一回ぐらいなら・・・と軽い気持ちで引き受けました。そのうちに、週一回では足りないと言われて、週二回三回・・・と日にちが増えていきました。しかし、その頃は、とても真剣にやっていたとは言えませんでした。
 それから、三年が経った頃、私にはもう一人男の子が生まれました。上の二人は近くのブラジル語
の幼稚園に通っていました。 「このままでは、みんな日本語の話せないブラジル的な日系人になってしまう。」そう私は考えて、「『三つ子の魂百までも』なのだから、今、私が子どもたちに日本語教育をしっかりしたい。」と思うようになったのです。
 そして、家の庭に増築して、バンビ幼稚園を創立しました。最初の年は、物珍しさもあって、二十名以上の幼児が集まりました。しかし、次の年には、また私が二月に出産したため、六名しか来てくれませんでした。この幼稚園は、時代の波に揺られて、生徒の増減を繰り返しながら現在に至っています。
 この幼稚園に平行して、日本語学校も続いています。主に幼稚園の卒園生が日本語学校に続けてくるのです。幼稚園は今年で創立二十五周年を迎えました。日本語学校はそれより三年多く継続しています。
 日本語教育とまじめに取り組もうと思った動機は、我が子を日本人として育てたいというものでしたが、今では、我が生徒たちを日本人として育てたいという気持ちに変わっています。少し過激な考え方のようですが、うちの学校に来る生徒も、ここに通わせてくれる親たちも、日本語を一外国語と捉えている人はいません。日本人の血を受け継ぐ者としての誇りと自覚を持って日本語を勉強したい、勉強してもらいたいと願っているのです。
 「先生、うちの子供に礼儀を教えて下さい。ちゃんと、挨拶のできる人になってもらいたいんです。」
 「お辞儀を教えてやって下さい。頭をきちんと下げると、とっても可愛いですから。」
親たちはこのように言ってきます。
 「日本にいるおじいちゃんに手紙が書けるようになりたいです。」
 「日本のおばあちゃんと電話で話ができるようになりたい。」
 「いつか、日本に留学したいです。」
生徒たちの言葉です。なぜ、日本に留学したいのでしょうか。自分たちのルーツだからです。誰も自分たちが純粋なブラジル人だとは思っていません。日系ブラジル人です。ですから、アイデンティティーは、ブラジルに住んでいる日本人ということになるのだと私は思っています。現在、うちの学校では、幼稚園に十名、日本語学校に三十名の生徒たちが勉強しています。そのすべての子どもたちに、私は私にできる限りの日本教育をしたいと考えています。日本語教育はその一環です。正に日本教育、継承語教育です。勿論、バイリンガル教育も私は推奨します。 2008年十月、私に初孫ができました。今、一歳半です。
 「私の息子たちに、日本語を教えよう。『三つ子の魂百までも』なのだから、幼稚園を創ろう。そして、息子たちが卒園したら、幼稚園はやめよう。」と25年前開園の時に思った幼稚園でしたが、園児が絶えず、今まで続けることができました。そして、今、また次の世代に突入した思いです。というのは、うちの幼稚園を卒園した人たちの子どもたちが、ぼつぼつ入園し始めたからです。この現象。ブラジルの日系人はやはり、日本を忘れません。ここで日本教育に頑張っている者がいれば、この思いは受け継がれていくのです。そして、それが私たちの強い願いでもあるのです。

【水馬京子】旧姓・相川。1953年名古屋生まれ。名古屋YMCA英語学校秘書実務科卒業、74年に米国コロラド州デンバーシテイーカレッジ大学入学、翌年中退。77年に渡伯。83年に日本語学校を始め、86年にバンビ幼稚園を増設。95年、公文式日本語学校に移行。

写真=水馬さんと生徒たち

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