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グアタパラ移住地48周年祝う=「一粒の麦死なずば」=150万日系の原点を慶祝=日本庭園構想も進む

ニッケイ新聞 2010年7月6日付け

 「日本人の勤勉さを我々が学べば、ブラジルは世界一の国になれる」。グアタパラ移住地創立48周年式典の中で、同地のサミル・レドンド・ソウト市長は、そう語って日本移民がもちこんだ日本文化を讃えた。養鶏を中心に蓮やレンコンの産地としても有名な同地最大の行事である慰霊ミサ、式典、演芸会を今年も行った。来賓も多数訪れ、2年後の半世紀の節目に向けてさらなる躍進を誓った。

 移住地内の墓地で行われた慰霊ミサは拓魂碑の前で、青木勲神父の司祭で厳かに執り行われた。
 同農事文化体育協会の川上淳会長はあいさつに立ち、笠戸丸移民が数カ所に別れてこの周辺の耕地に入ったことを例に出し、「他の耕地では、条件が悪くて契約農年を終えずに夜逃げすることが頻発したが、グアタパラ耕地だけは違った。みなが農年を無事終えたから、それが実績として評価され後続移民につながった。だから150万日系社会の元になっているのは、このグアタパラだ」とのべた。
 青木神父は聖書の「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」との言葉を引用し、「この地に多くの方が生き、葬られた。その結果が大きな実を結んでいる」と移民の人生に例え、「言葉が違っても死に向かう心は同じ」と、日伯の文化や宗教の違いを乗り越えて、神に感謝の祈りを捧げましょうと呼びかけた。
 その後、大部一秋在聖総領事夫妻、芳賀克彦ブラジルJICA所長、喜多喜八郎文協会長夫妻、山下譲二副会長夫妻、ソウト市長夫妻、ジョナス・プラド市議会議長ら来賓に続いて、全員が献花や焼香をした。
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 一行は同会館での式典に移った。川上会長は「ここは移民発祥の地。日系人にとって忘れてはならない故郷だ」とあいさつし、大部総領事は「グアタパラが繁栄することが、日伯の友情を強める証であると確信する」とのべた。
 喜多文協会長は「我々の祖先との約束は、日本文化や伝統を継承すること。この移住地を模範とし、我々も遂行にむけ邁進していきたい」と語った。同地創設に関わったJICAの芳賀所長は「いっそうの発展を期待したい」とのべ、円借款などを通して聖州が両国緊密化の拠点となっているとした。
 わざわざ広島市から参加した小井手桂子さん、押切フラビオ県連代表のあと、レアル銀行の清水オリジオ取締役は「先ほどのミサでは開拓者の魂がここに集まったようだった。冷たい風が急に涼しくなった」などと語った。移住地造成に深く関わった産業開発青年隊の盆子原国彦会長の挨拶代読を早川量通(かずみち)さんが行った。
 最後にソウト市長は、会館横の広場を日本庭園にする構想を進めており、この地域の価値を上げる投資をすることを約束し、式典は終わった。
 移住地創立の翌年、63年に入植した斉藤長一組合長(60、山口)は「僕らは日本が高度経済成長する直前に渡伯したが、今度はブラジルが成長する番。子孫は日本にデカセギに行くのでなく、発展するブラジルの中で羽を伸ばして欲しい」と将来に向けての期待をのべた。佐々木巻子さん(55、島根)も「ここは平凡だが幸せがある。来て良かったと思う」としみじみ語った。

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