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日本語教師リレーエッセイ=第10回=「日本文化体験」の場所=タウバテ日本語学校=海藤紀世

ニッケイ新聞 2010年8月28日付け

 「今の二世は何もなってない」「日本語なんて、伝統文化なんて全然できていない」ということは幼い頃から私の耳に入るコメントです。
 たしかに今の日本語、今の日本文化はブラジルの日系社会では乱れたような伝え方になり、だんだん本物と離れ、薄くなってきています。しかし、そういった形になっているからといってほっておく、もうだれも興味がないからあきらめようとも思ってほしくないです。
 うちは家族の中で両親、兄弟、いとこ達とは幼い頃から日本語で話させたり、民謡をさせたりしました。「日本語で、日本語で」とよく母に注意されました。日本式で教育できるように両親は頑張ってきたと思いますがやはり文化の違いで日本で教えるその通りに伝えようとしても無理だと気づき時代とブラジルの文化に合わせながら工夫してきたと思います。しかし、ブラジル式でも日本文化を紹介してもらったことで本当に色々ないい経験をさせてもらいましたので是非現在の日系人や非日系人の子供達にも経験してもらいたいです。
 私はブラジル、サンパウロ州タウバテ市生まれの日系三世です。2005年からタウバテ日本語学校の児童クラスの担当をさせていただいています。
 父は民謡がさかんな山形県で生れ育ち、ブラジルへ民謡を広めるために来られたのかとよくきかれますがそうではありません。逆に日本にいた頃はいっさい民謡をやっていなかったみたいです。若い頃は高校のブラスバンドに参加したり、ロックバンドでビートルズなどを楽しんだりしていたそうです。夢にも思っていなかった三味線と民謡はブラジルで習い始め、いつの間にか家族全員兄弟、いとこたちとあちこちコロニアのお祭りや敬老会で三味線と民謡をうたっていました。
 私たちは当時5歳から15歳のメンバーでした。練習がつらくて、「年寄りのものだ」ともんくを言いながら続けてきました。しかし、家族を集めて一緒に何かをすることで毎週あちらこちらへ仲良く弾きに行けることと色々な地域や人々とふれあうことができてとても幸せだと今になって感じます。
 こういった経験は、自分にだけ留めないようにできるだけ多くの人々にも体験してほしいと感じさせました。「どんな形にすれば保護者や会の皆に認められるのか」そして「子供達にどう伝えていけばいいのか」は今の課題です。日本文化を通して歌手になることや日本語が上手になることを目指すのではなくただ子供達に多くのいい思い出をつくる機会を与えることを目的にしています。
 違う環境とふれあうことで子どもたちも色々な知識を持ちながらわがままも言えなくなる状況を与えることで少しでも人間として成長していくのではないかと思います。
 残念ながらARTEや言語という物は結果が出てくるのが非常に遅いです。何年たっても見えて来ないものです。一生目に見えないかもしれません。そして将来性がないように見えるので認めてもらうことがとても難しい。全然体験したことがないと「歌なんかやっているひまがない、くだらない」「日本語なんか覚えなくてもいい。英語のほうが大切」との考えはまだまだ強いでしょう。ARTEは自分の力にしかならないものなので一度体験してみないと分からないものだとおもいます。
 子供の時に日本文化を全然体験していない大人に民謡や日本語の勉強をおしつけようとするのも無理です。私もそうです。いきなり「空手をやりましょう」と誘われても「私はできない」としか答えられません。
 しかし、子供の時に少しでもやっていれば答えが違っていたかもしれません。そうすることで大人になって「うちの子に是非覚えてほしい」や「にどとやりたくない」と判断できるだけでもいいと思います。とにかく一回でも体験すれば意見が全然変わってくるでしょう。
 現代ブラジル中の状況なのか分かりませんが、タウバテの日本人会は最近盛り上っています。特に日本語学校は毎週土曜日は本当ににぎやかです。2003年からJICAの青年・シニアボランティアからのアドバイスを頂いてから、もう「終わりだ」と思っていたタウバテ日本語学校は立ち上がりました。子どもたちも教師たちもいつもいきいきとしています。
 まだまだ研究中で、失敗の繰り返しで子どもたちには迷惑だと思いますが日本語学校は徐々に「日本文化体験」の場所になってきました。週にたった一回で残念ですが、日本語の勉強時間を利用して3歳から18歳の生徒たちにそろばん、書道、太鼓、ゲートボール、日本料理などを紹介してみています。生徒の反応は何よりのごちそうです。私たち教師としての役割だと思います。子供達にできるだけ多くの日本文化を紹介すること、チャンスを与えること。やめないように終わらないように何年も何世代も続けられるよう頑張っていくのが仕事ではないかと思います。

写真=玉入れを楽しむタウバテの子供たち

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