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JAL=さようなら、日本の翼=「残念」口々に惜しむ声=異例のさよならイベント

ニッケイ新聞 2010年9月29日付け

 また必ず帰ってくる―。存続を願う多くの署名がコロニア内外から集まったにも関わらず、運休が決まった日本航空(JAL)のサンパウロー成田線(ニューヨーク経由)の最終便が雨の降りしきる27日夜、251人の乗客を乗せて飛び立ち、32年の歴史に幕を引いた。今回に際し、JALは異例の〃さよならイベント〃を実施した。米州支社の日岡裕之支社長は「体力をつけ、再び日伯の架け橋となりたい」と搭乗口であいさつした。最後の乗客からは「残念だ」「戻ってきてほしい」と惜しむ声が聞かれた。

 1978年、日本移民70周年祭の年に定期就航した同路線は、99~01年の週5便(うち1便名古屋)をピークに多くの利用者を数えた。
 しかし、今年1月に経営破綻。会社更生法を申請、経営再建に伴い、人員削減、路線リストラを断行するなかで同路線の運休が決まっていた。
 午後7時に搭乗手続きが始まると、チェックインカウンターには、「ご愛顧頂きましてありがとうございました。また、お会いしましょう」と書かれた横断幕が掲げられた。
 B747―400型機の模型の前で従業員らが乗客らと写真撮影を行い、サンパウロとニューヨークの従業員らが折ったという折鶴をあしらった記念カードも配られた。
 出発直前、搭乗口で日岡支社長は、54年の支店設置以来のブラジルとの関係を振り返り、「努力を尽くしたが、痛恨の極み。身の丈を小さくし、体力を蓄え、鶴の航空機と共に戻ってきたい」と話し、機長や客室乗務員らと共に深く一礼した。
 サンパウロ支店の小西弘恭支店長は、「他の航空会社との共同運航を検討している。決まり次第報告したい。予約やマイレージの取り扱い業務は以前同様」と話した。
 中島澄男さん(75、二世)は「コロニアにとって残念でならん。次の訪日はどの航空会社にすればいいのか。歩いては行かれんもんね」と苦笑いした。
 パラグアイ在住の前原弘道さん(73、広島)は、訪日の際は必ずJALを利用してきた。「やっぱりサービスが最高だからね。是非とも続けて欲しかった」と残念そうな表情を見せた。
 雨の振る中、現地スタッフらは地上に降り、目頭を押さえながら、飛び立つ機体に向け手を振っていた。

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