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花嫁稼業51年目=黒木美佐子さん

特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年

ニッケイ新聞 2010年10月23日付け

 コチア青年移住55周年、花嫁51周年の式典行事もめでたく終える事が出来ました。会場一杯のコチア青年、その妻・子・孫たち、そしてそれを祝って下さる多くのご来賓、友人の皆々様のお陰でした。勿論、この式典を挙行するまでには、コチア青年連絡協議会は、さまざまなねり合いを重ね、ご寄付を仰ぎ、各担当者は頭をひねり…コチア青年一同の協力があったればこそであります。
 さて、この式典で、私が一番嬉しかったのは、山中キク様が御家族に支えられて、車椅子でご参加下さったことでした。 百才になられる山中キク様は、コチア青年、その花嫁にとって最も、記憶の中に鮮明な山中弘移民課長の奥様です。
 コチア青年第一回大会の時、私は「チルチルミチルが運んで来た幸せ」のこと、そしてコチア青年は90になってもコチア青年、花嫁も共に白髪の生えるまで花嫁でありたい……とあの頃の若気の至りでそんなことを体験発表したことがありますが、その時、山中弘氏が、「ヤー良かったゾ!あれはおまえら2人の合作か!」と云われたことを想い出します。
 又その後,山中キク様が、私の長女を抱っこして下さって、写真におさまっているのがありますが、あれから長女が50才になりました。懐かしい想い出です。このたびも、是非と云って、私の孫のカメラの中にキク様と共におさまりとっても誇りに思いました。きっと私が90になった時、また、懐かしく孫と、その写真を眺めることでしょう。
 それから、2番目に嬉しかった事は沢山ありますが、またまた、大部総領事御夫妻と、おこがましくも親しくお話が出来たり、カメラにおさまったり出来たことでした。 やっぱり栄子さまの笑顔は素敵で、会場全体を明るくします。皆々がお友だちになった感じです。
 しかし、アトラクションの前になって、御夫妻が、わざわざ私の手を握って下さり、「残念ですけどいつもみさ子さんのアトラクションの司会が始まると、帰らねばならない。次に約束があるので―と仰って退場されましたが、私は恥ずかしいやら、残念やらです。
 コチア青年の孫たちの芸達者ぶりを観て頂きたかったのですが、又これも2番目に嬉しかったことはブラジリアから、高柳氏、荒木氏他数名が、遠く飛行機で「とんで」来て下さったことです。「美佐子さん、あんたやっぱり元気だネー」と、アブラッサして下さいました。
 嬉しかったことをいろいろ取り上げれば切りがありませんが、写真展は結構人気があり、皆さん飽きることなく観賞しておられました。
 独立農時代から、今日までの歩みを物語っていて成功でした。それに何よりも式典の会場を引き立てたのは、舞台の前を飾った『富士山』で、日本全国から移住して来たコチア青年のふるさとの象徴、富士山であったと思います。西川氏の力作でした。
 もう一つ、同じコチア青年でオーナーの肥後氏の仕出しは、再に参加者を満足感と安心感でつつみ、嬉しい限りでした。同じコチア青年連絡協議会仲間の私ですが、新留静会長はその名のとおり、静かで、おっとりと、そしてその決断力に乾杯をおくりたいものです。
 私どもも昨年、家族から金婚式を祝ってもらいましたが、結局コチア青年の嫁であったから、今感じることがあり、神様だけが知っている赤い糸で結ばれた絆でありましょう。これからも共に90になってもコチア青年の花嫁で生きて行くことでしょう。

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